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聴覚障害詩人の復讐

Posted January. 08, 2020 07:55,   

Updated January. 08, 2020 07:55

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自分も知らないうちに他人を傷つけることがある。それでも口から出る言葉は一回限りなので虚空に蒸発することもあるが、活字化された言葉は、傷つけ続ける。文が危険な理由だ。英国詩人テッド・ヒューズの「聾学校」は、そのような詩である。

「聾学校」は、聴覚障害のある子供たちを扱った詩だ。詩人は彼らをこのように描写する。「耳の聞こえない子どもたちは、猿のように機敏で魚のように臆病で急だ。/彼らの顔は小さな動物の顔のように/機敏で単純だった」。彼らを動物に例えたのだ。卑下する狙いではなく、彼らの特性を描写するためだったが、問題は、そのような比喩が彼らを人間以下の存在にするということだ。その狙いがなかったから責任から自由でいられるわけではない。正しく表現する自信がなければ、言葉より沈黙を選ぶのがより良い理由だ。

聴覚障害を持って生まれた混血詩人レイモンド・アントロバスは、奇抜な方法でヒューズに復讐する。彼は「テッド・ヒューズの『聾学校』」というタイトルの詩からヒューズの詩全文を引用後、先生が生徒の中途半端な文を見てそうするように、ペンで線引きしながらすべて消してしまう。それがすべてだ。詩人はそれに満足できなかったのか、「ミシシッピ川のそばで『聾学校』を読んだ後」という詩を通して攻勢を続ける。彼は「単純で」「音の微細な震えのオーラと音に対する反応が足りない」のは、聴覚障害者ではなく、ヒューズだと言う。ミシシッピ川の川水のような「私たち」について、「あなた」が一体何を知っているのでキツネザルに例えるのかという。知らなければじっとしているべきだという。厳しい復讐である。詩的な復讐。

ところが、故人になったヒューズを記念するために作られた「テッド・ヒューズ賞」が2019年、アントロバスに授賞された。彼はヒューズをパロディにした二本の詩が含まれている、傷に関する29編の詩でできた詩集「忍耐」でその賞を受賞した。だからといって、ヒューズの詩から受けた傷がなかったことにはならないだろうが、それでもどれほど美しい癒しの始まりだろうか。

文学評論家・全北(チョンブク)大学教授