Go to contents

ワールドシリーズ、アナログの反撃

Posted November. 01, 2019 09:04,   

Updated November. 01, 2019 09:04

한국어
ワシントン・ナショナルズの優勝で幕を閉じた大リーグのワールドシリーズを巡って、「土の匙と金の匙との対決」という見方があったが、実際は間違っていた。系図(過去の成績)でみると、ワシントンとヒューストン・アストロズ共に土の匙であり、財力(チームの年俸)の面では、両チームとも金の匙に近い。

これより米国メディアの「アナログの反撃」という評価がより新鮮だ。ワシントンは、「アナログ(旧式)」で、ヒューストンは「デジタル(革新)」だが、先端兵器が支配する世界を石斧が転覆したという見方だ。

説得力がある。ヒューストンは、データ革命で生まれ変わったチームだ。グローバルコンサルティング会社で働いていたジェフ・ルーノウが2013年に団長に就任した後だ。彼は正統的なスカウトを解雇し、データアナリストでそのポストを埋めた。人間よりデータのほうがより良い情報を与えると固く信じていた。高速カメラを設置後、コーチを解雇し、傘下のマイナーリーグチームを減らした。選手を「評価」せず、技量を「測定」した。この3年間連続で100勝以上を収め、3年間で2度もワールドシリーズに進んだ。ニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・ドジャースなどの名門チームもベンチマークした。

ワシントンは違った。ヒューストンの一般的なハーバード大学、エール大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)出身の従業員が一人もいない。その代わり、還暦を過ぎたスカウトと参謀陣が10人もいる。「私たちは競技場に集まって、葉巻を一本吸いながら、それでいて何かを引き出す」と言う。1960年代のバージョンだ。マイナーリーグ選手出身のマイク・リゾ団長などは、「選手は人間だ。だから選手を評価する際は情熱などを深く理解しなければならない。競技力だけを測定してはならない」と叫んだ。

 

結局、ワシントンが勝った。選手たちの情熱はすごかったし、特に最後の第7戦はヒューストンを圧倒した。その情熱を「測定」できなかったヒューストンは、終盤慌てた。レギュラーシーズン最多勝チーム(107勝)が、終電に乗って秋の舞台に上がったチーム(93勝)にそのように崩れた。一本の映画のようにストーリーテリングが劇的で、善悪の区分も明確だ。現実が映画顔負けだなんてちょっと不思議ではないか。確認してみると、誇張された側面があった。ワシントンもデータ分析チームが、彼らならではの情報を生成していた。ヒューストンのルーノウ団長も、「私たちも目と勘で判断する有能な人材がいる」と主張した。

ところで、なぜ米国のマスコミは、両チームを極端に区分したのだろうか。ヒューストン式革新への反発のためとみられる。革新は破壊を伴うが、ヒューストンは130年間通用されてきた大リーグの信頼(文法)をほとんど否定して、過激だという評価を受けた。人間的な部分はできるなら削除し、社会的に共有された価値も無視した。ただ、データだけが正しい道を案内すると信じた。賛辞も従ったが、「良心のない球団」という烙印も押された。

そうしてワールドシリーズ期間に事故が起きた。チームの重要関係者が所属選手の家庭内暴力履歴をかばって問題となった。家庭内暴力は、大リーグが無寛容で対応する事案だ。球団のオーナーは世論に押されてようやく謝罪し、関係者を解任した。データのみを信奉するヒューストンの組織文化が原因だという指摘が殺到した。「ヒューストンの革新は一体何の意味があるか」という懐疑論も高まった。だから、ワシントンの人間中心的運営が誇張され、呼び出されたのだろう。ヒューストン式革新は今、落ち着いてから次を狙う可能性が高い。

革新だけが生きる道だと叫んでいる韓国社会。革新の速度が遅いのには、技術的問題もあるが、技術革新による社会的対立も陣取っている。技術発展がデジタル時代の競争優位性を保つ唯一の要因ではない。人間的要因と社会的呼応も重要だ。ワールドシリーズを見ながら、技術革新をもう一度考える。


シン・ムギョン記者 yes@donga.com