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世論調査1位を争う首相と前首相、初の首相出身大統領は生まれるか

世論調査1位を争う首相と前首相、初の首相出身大統領は生まれるか

Posted October. 26, 2019 09:22,   

Updated October. 26, 2019 09:22

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1948年の建国以来、大韓民国には41人の首相が出た。多くの首相が大統領の座を夢見たり挑戦した。しかし、朴正煕(パク・ジョンヒ)政府の崔圭夏(チェ・ギュハ)元首相が10・26事態で大統領職を受け継いだことがあっただけで、まだ国民の選択で「国政の責任者」になった元首相はいない。

朴槿恵(パク・クンへ)政府の首相だった野党自由韓国党の黄教安(ファン・ギョアン)代表の大統領選挙への挑戦は、現在進行形だ。李明博(イ・ミョンバク)政府の鄭雲燦(チョン・ウンチャン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の高建(コ・ゴン)、金大中(キム・デジュン)政府の金鍾泌(キム・ジョンピル)、金泳三(キム・ヨンサム)政府の李会昌(イ・フェチャン)元首相も、一時大統領選挙を準備したり、実際に飛び込んだ。

高建元首相は、盧元大統領の弾劾政局で大統領権限代行を務めた。高元首相は、2007年1月、第17代大統領選挙への不出馬を宣言するまで、有力大統領候補として進歩と保守を問わず、ラブコールを受けた。しかし、当時、与党の主流勢力からの絶え間ない牽制で、自ら大統領選挙への出馬をあきらめた。

金鍾泌元首相は、DJP連合で共同政府を樹立しながら、政権のナンバー2としての存在感を誇示した。彼は忠清(チュンチョン)を基盤に複数回大権を模索したが、夢を果たせなかった。李会昌元首相は、1997年、2002年、2007年に大統領選挙に相次いで三回挑戦した。韓国党の前身・ハンナラ党を結成して、一時「帝王的総裁」と呼ばれながら大勢論を形成したが、大統領のしきいを越えることができなかった。

政界は、このような流れについて、歴代政権が首相を事故収拾と局面転換用として活用することが多く、任命された首相が自分の力を構築することに限界があるからだと分析している。金泳三政府の李榮德(イ・ヨンドク)元首相は聖水(ソンス)大橋崩壊事故、李洪九(イ・ホング)元首相は三豊(サム分)百貨店事故の責任を負って退いた。李明博政府では鄭雲燦元首相が「世宗(セジョン)市首相」というブランドを構築して注目されたが、2010年6月、国会で世宗市修正案が否決されると辞意を表明した。

現在李洛淵(イ・ナギョン)首相と黄教安氏が、様々な世論調査で次期大統領候補1、2位を争うのは、これに比べて確かに異例の現象だ。キム・ヒョンジュン明知(ミョンジ)大学教授は、「首相が有力大統領候補を超えて、大統領になるためには越えなければならない『政治的山』が多い。大統領当選に最も近かった李会昌氏の例からすれば、結局所属政党の主流勢力とどれほど交感できるかがカギだ」と指摘した。


朴晟鎭 psjin@donga.com