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反体制ジャーナリスト、カショギ氏の死、いまだ闇

反体制ジャーナリスト、カショギ氏の死、いまだ闇

Posted October. 05, 2019 09:23,   

Updated October. 05, 2019 09:23

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昨年10月2日、トルコ・イスタンブールのサウジアラビア総領事館で反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(当時60歳)が殺害された。カショギ氏は、米紙ワシントン・ポストなど海外の有名メディアに活発に寄稿した著名なジャーナリストだった。殺害場所がサウジ国内でなく他国という点で衝撃が大きかった。

西欧各国は、「21世紀にこのような形の報復殺人があるとは」、「サウジが表面だけで改革・開放を強調し、部族国家水準の前近代性から抜け出せていない」と批判した。何より殺害の背後と見られ、注目を集めたサウジの実権者、サルマン皇太子(34)が表面では「改革君主」のイメージだが、政敵弾圧に没頭する「冷酷な独裁者」という批判が多かった。

カショギ氏の死から1年が経ったが、依然として多くの疑問が残っている。現在までに分かった事実も、「サウジ政府関係者が婚約者のハティジェ・ジェンギズさんとの結婚に必要な書類の発給を受けるためにイスタンブール総領事館を訪れたカショギ氏を殺害した後、遺体を遺棄した」ということだけだ。サウジ当局は、このことも最初は頑なに否定した。トルコ政府の執拗な圧迫と世界的な非難世論が大きくなると、やむをえず殺害の事実だけ認めた。

ムハンマド皇太子の介入の有無や殺害指示、殺害方法、遺体処理などに関してはまだ説だけが入り乱れている。皇太子がどのような形であれ事件に介入したと推測されているが、これを裏付ける決定的な証拠はない。ムハンマド皇太子は先月29日に放送された米CBS「60分」とのインタビューで、「サウジ政治指導者として責任は認める。ただし(殺害の)指示は絶対にしていない」と主張した。

遺族がムハンマド皇太子とサウジ政府を批判しないことも不可解だ。CNNは4月、政府が4人の子どもに計400万ドル(約48億ウォン)相当の住宅を提供し、毎月補償金も支給することを決めたと伝えた。金で遺族の反発を抑えたと批判されている。

一部では、妻帯者だったカショギ氏が、学会で会った24歳年下の婚約者のジェンギズさんと愛に落ちたという点も釈然としないと見ている。カショギ氏がジェンギズさんに会わなかったあら、離婚を決心することもなく、「危険地帯」であるサウジ公館に入ることもなかったためだ。サウジ政府が、カショギ氏を公館に呼び入れるために、いわゆる「つつもたせ」を使ったのではないかという疑惑も依然として残っている。

遺体の行方も分かってない。遺体をばらばらにした後、化学薬品を使って完全に溶かしたという説、総領事館官邸の庭園の窯で焼いたという説などが流れている。

カショギ氏が殺害されるかなり以前から、サウジ当局から脅威を受けたという指摘もある。殺害約1ヵ月前にカショギ氏に会ったという中東のある大学教授は、記者に、「当時、カショギ氏が『もう過去のように活発な政府批判はできないだろう。プレッシャーがどんどん大きくなっている』と話した。相当程度の殺害脅威に苦しんでいたようだ」と振り返った。依然として事件は迷宮に陥っている。


李世亨 turtle@donga.com