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尹東柱の「記憶と和解の碑」、京都・宇治で除幕式

尹東柱の「記憶と和解の碑」、京都・宇治で除幕式

Posted October. 30, 2017 09:25,   

Updated October. 30, 2017 09:50

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「私たちは過去に犯してしまった愚かな歴史を心に刻みつけるために集まりました。死ぬ日まで天を仰ぎ見た詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)に思いを馳せながら天を仰ぎましょう」

28日午前11時、京都府宇治市の宇治川のほとり。宇治教会の早瀬和人牧師の言葉で、現場に集まった150人余りの市民が空を見上げた。今までも降っていた雨が嘘のように止んだ。尹東柱のおいで成均館(ソンギュングァン)大学の尹仁石(ユン・インソク)教授が、碑に刻まれた詩「新しい道」を朗読した。

28日、ここで「詩人尹東柱、記憶と和解の碑」除幕式が行われた。尹東柱生誕100年を迎えて設置され、日本国内では3番目だ。高さ2メートル、幅1.4メートルの碑は、日本と韓半島の御影石が尹東柱を象徴する円筒を支える形で製作された。尹教授は、「伯父も思い出の場所に碑が立てられたことをうれしく思うだろう」と話した。

1943年の初夏、同志社大学英語英文学科に在学中だった尹東柱は、徴兵を避けて帰国を決心し、学友は宇治川の川辺で野外送別会をし、写真を撮った。尹東柱は送別会直後の7月、治安維持法違反の疑いで逮捕され、1年半後に獄死した。

尹東柱の最後の写真は、1990年代半ば、NHKとKBSがドキュメンタリーを共同製作している時、尹東柱の学友で当時一緒に写真を撮った北島万里子さんのアルバムから発見された。北島さんの証言によると、尹東柱は、「最後なので歌を一曲歌ってほしい」と学友にせがまれ、恥ずかしがりながら「アリラン」を歌ったという。碑が設置された場所は、アリランを歌った川辺付近だ。

写真にまつわる話が伝えられ、地元住民を中心に記念碑建立の動きが起こった。2005年に市民団体が結成され、2007年に各界からの募金で碑石の製作まで終えたが、場所が見つからず設置が先送りになっていた。今回、志津川区が区有地を提供した。

「詩人尹東柱記念碑建立委員会」の安斎育郎代表は、「尹東柱が青春の輝かしい瞬間を送ったここに碑を建立できてうれしい」と話した。尹東柱の母校、延世(ヨンセ)大学を代表して出席した白永瑞(ペク・ヨンソ)人文学部長は、「感激だ。人間の尊厳と世界の平和に対するメッセージを発信する場所になるだろう」と期待した。今年3月、記念碑建立を伝えた東亜(トンア)日報を見て、玄海灘を渡って来た中学生もいた。慶尚北道亀尾(キョンサンプクト・クミ)のグァンピョン中学校3年生のパク・ヒウォンさんは、「尹東柱が好きだった。記事を読んで意味のある行事と思い、お小遣いをためて父と弟と一緒に参加した」と話した。

NHKのPDだった時に最後の写真を発掘した多胡吉郎(61)さんは、除幕式の後、「碑が立てられ、感慨無量だ」と話した。「尹東柱が人生を変えた」という多胡さんは、1995年のドキュメンタリー放送後も尹東柱の研究を続け、最近『生命の詩人・尹東柱』という本も出版した。

現在、日本には尹東柱が留学した京都の同志社大学と下宿屋があった場所(現・京都造形芸術大学)に碑がある。同志社大学の場合、毎年2万人の韓国人が碑を訪れるという。今回建立される宇治の記念碑は、市民の努力で大学校内ではない場所に初めて建立された。



張源宰 peacechaos@donga.com