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李承晩元大統領の彩色水墨画を初発見

Posted December. 11, 2014 08:20,   

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故李承晩(イ・スンマン)元大統領が描いた彩色水墨画(写真)が初めて見つかった。書道や絵画に長けていた李元大統領の書道作品は複数残っているが、絵画が見つかったのは初めてのこと。今回見つかった作品は、旧韓末(朝鮮時代末期から大韓帝国までの時期)の知識人の姿をうかがうことのできる珍しい作品だという評価が出ている。

檀國(タングク)大学の黃必洪(ファン・ピルホン)教授(ケファ工程美術代表)は、「中樞院の医官を務めた之裁・李圭翊(イ・ギュイク)先生の還暦宴会の時、61人の有名人が贈り物として作った書画帖から、李元大統領の彩色水墨画や書道が見つかった」と、10日明らかにした。黄教授が入手したこの書画帖は、「獻壽牒」というタイトルの2冊からなる本であり、李元大統領が36歳だった1911年に作られた。獻壽牒には、海士・金聲根(キム・ソングン)や東農・金嘉鎭(キム・ガジン)、又荷・閔衡植(ミン・ヒョンシク)、李愚冕(イ・ウミョン)など、当代、名筆として名をはせた旧韓末の高官も大勢名を連ねている。

李元大統領の作品は、奇岩怪石を中心に、黄色やピンク色の菊の花がうずたかく咲いており、全体的に格調がありながら、均整の取れた感じを受ける。米プリンストン大学で博士号を取った直後、青雲の夢を抱えて帰国した青年李承晩の気持ちを表現しているような気がする。彼は、この絵を描いた当時、啓蒙運動を繰り広げていたが、15人事件に巻き込まれて、米国への亡命の途についた。

絵の傍には、李元大統領が漢字で、「之裁様の還暦の宴、お祝い申し上げます。富貴を享受され、長く生きてください。雩南李承晩。辛亥年(1911年)菊秋(9月)」と書いた。また、画帖の左上には、別の人が、「博士、子は稚聲、号は雩南。全州(チョンジュ)の人。讓寧(ヤンニョン)大君の16代子孫。米ワシントン大学卒業生」という作品の説明をつけ、李元大統領が書いた絵であることを明らかにしている。

書道と古美術専門家のソウル芸術の殿堂のイ・ドングク書道部長は、「作品に書かれている文字は、李元大統領の筆跡で間違いない」とし、「淡々たる気品が伺える秀作だ」と評した。

李元大統領は、少年時代は蝶の絵が特に得意であったことから、「李蝶」という異名を得たこともあった。李元大統領の婦人であるチョ・ヘジャ氏は、「かつて、主人がその書画帖に乗せられていた義理の父の絵を偶然、見たことがある」とし、「もう一度、その絵を見たいと言っていた」と話した。