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「慰安婦」真相を伝えることが先だ

Posted August. 27, 2013 03:39,   

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筆者は1993年、駐日本大使館に勤めていた時、河野談話の発表交渉に関わった。日本政府はこの談話を通じて、被害女性たちが日本軍の主導の下、強制的に連れて来られたという事実を概ね認めて謝罪した。にもかかわらずその後20年が経過した今日まで、韓国民族の傷が癒されることなく、慰安婦制度の強制性を否定する妄言が一度や二度でなく被害女性の名誉を傷つけていることは実に残念だ。

被害者と市民団体の日本に対する要求は、①真相究明(国家責任の認定)、②政府の公式謝罪、③違法行為に対する賠償に代弁される。これに対して日本政府は、真相究明は河野談話で行なわれ、賠償問題は1965年に日韓間で締結された請求権協定によって解決済みという立場だ。このため、賠償問題とは別途に人道的見地から1995年にアジア女性基金による解決を図ったが、韓国などの反発で中断したということだ。

最近、筆者は日韓関係に詳しい日本の元外交官、学者、ジャーナリストに会う機会があったが、慰安婦問題についての彼らの見解で3つの点が注目された。

第1に、日本国内の慰安婦制度の真相に対する理解が非常に不十分だと感じられた。韓国問題の専門家も、当時の公娼制度や人身売買の慣行の延長線上でこの問題を見ていることに驚いた。

第2に、韓国に対する好感度と関係なく、すべての人が慰安婦問題が被害者の証言で後になって表面化したため、請求権協定交渉の対象ではなかったという韓国の立場に同意せず、日本政府が賠償要求を正式に受け入れる可能性はないと考えた。請求権協定の例外を認めて別の問題が起こることを憂慮した。最近の韓国裁判所の強制徴用被害補償判決も彼らの主張を裏づける根拠となった。特に、外交官たちは、アジア女性基金で日本国民の募金6億円に加えて政府予算が48億円も拠出されたにもかかわらず、評価されなかったことに無力感を示した。

第3に、賠償要求が受け入れられれば、日本が歴史的真実を否定することが難しくなることは事実だ。しかし、賠償要求がかえって事実関係に対する日本の立場を硬直させ、強制性否定の土壌を提供する逆効果が現れている。世界の世論の厳しい批判を受け、今は密かに水面下に潜んでいるが、昨年末、第2次安倍内閣スタート直後に河野談話の修正発言が出てきたことも、そのような雰囲気に便乗したと見える。

被害届けの有無と関係なく、すべての被害者の名誉を守り、このような事実を歴史的教訓として残すには、何よりも「日本の強制性と国家の責任認定」を明らかにすることが必須だ。第1次安倍内閣は2007年に、日本政府が発見した資料には強制性を裏づける記述がなかったという国会答弁書を採用したが、これが強制性を否定する根拠にはならない。1993年の河野談話発表当時、調査責任者だった石原信雄元官房副長官が後日証言したように、当時も不法だった強制動員を文書で残したはずがなく、たとえ一部あったとしても敗戦後にすべて廃棄しただろうからだ。

筆者は、これまでこの問題の真実を究明し、被害者の権利を救済するために献身的に努力してきた市民運動家たちと研究者に高い敬意を払っている。しかし、現在の状況を見ると、効果的で現実的な方法を模索する必要性はないのか、共に悩む時が来たと思える。

無理やり受け取る賠償よりも心から沸き起こる真の謝罪が、被害者を苦しみから救い、日韓が和解する道ではないだろうか。特に、日本の後世が韓国がなぜこのように怒っているのかを知ってこそ、将来の両国民の歴史認識の格差を縮めることができるだろう。