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「日本人に尹奉吉義士を伝えなければ」

Posted December. 18, 2009 09:28,   

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梅軒尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の一代記を描いた日本語版評伝が初めて出版された。「梅軒尹奉吉義士記念事業会」は17日、尹義士が1932年12月に刑場の露と消えた日本の石川県金沢市のホテルで、日本語版『評伝 尹奉吉—その思想と足跡』(彩流社)の出版記念会を開いた。

日本語版評伝は、記念事業会会長の金学俊(キム・ハクチュン)東亜(トンア)日報会長が、尹義士の上海義挙60周年を記念し、92年に出版された『尹奉吉評伝』を縮約し翻訳出版したものだ。1919年の3・1運動直後、小学校2学年だった尹義士が、日本の植民地教育を拒否した過程や、漢詩に長けた文士の姿、農村啓蒙運動を繰り広げ、独立運動に飛び込んだ20代など、24年6ヵ月の生涯を生き生きと描いた。尹義士の誕生100周年だった昨年には、李鐏恒(イ・スハン)東亜日報2020委員会副局長が『尹奉吉評伝』の内容を縮小した『梅軒尹奉吉』と上海社会科学院出版社が出版した中国語版『4・29上海義挙英雄梅軒尹奉吉』が、同時出版された。

金会長は、東亜日報社が後援した出版記念会の挨拶で、「尹義士が、テロリストと誤って伝えられている日本、特に尹義士の『恨』がこもった地、金沢で、尹義士の真の姿を伝える本を出版することになり、感無量だ」と述べた。金会長は、「東亜日報は、日本植民地支配期の言論弾圧が深刻だった1932年当時、尹義士の上海義挙を号外で最初に報じ、88年のソウル梅軒記念館の建設にも貢献した」とし、東亜日報と尹義士の縁を紹介した。同日の出版記念会には、弁護士の姜智遠(カン・ジウォン)理事やヤン・スンハク事務局長ら記念事業会関係者約10人や、民団関係者をはじめ在日韓国人ら計約100人が出席した。

これに先立ち、記念事業会は16日、尹義士の遺体が1932年から1946年まで埋葬されていた金沢市郊外の野田山の共同墓地を参り、日本語版評伝を献呈した。記念事業会は尹義士の殉国日の19日に、ソウルの孝昌(ヒョチャン)公園墓地で追悼式を行う。



jkmas@donga.com