Go to contents

[オピニオン]危機の国語

Posted July. 06, 2005 00:38,   

한국어

ハングル学者の周時経(チュ・シギョン)先生は、国語と文字を磨き上げることを「家の掃除」に比喩した。家の中が散らかっていると家族の心も落ち着かないように、国語と文字が乱れれば、国民精神が緩み、国の力も弱くなると考えたのだ。李海仁(イ・ヘイン)は、詩『私を育てる言葉』で、良い言葉が社会を成熟させると語る。「美しいと話すときは私もしばらく美しい人になって心の片隅が明るくなり/良い言葉が私を育ててくれることを/私は話しながら感じることができる。」

◆言語の破壊現象は深刻な水準だ。インターネットでは国語をばかにしているような表現が氾濫している。大統領からして「やってられない」や「ケンパン(悪い意図で、あることの進み具合を邪魔すること)」などの下劣な言葉をはくため、若者たちだけに非難の矛先を向けることもできない。国語の危機は国語の汚染と品位の喪失に止まらない。企業の人事担当者たちはあるアンケート調査で、大学卒業生の国語の実力に不満を吐露した。新入社員の論述と口述能力が劣っていて、企画書や報告書をまともに作成することができず、多くの人の前で説明するプレゼンテーション能力も足りないというのだ。

◆書くことと話すことは、いわゆる自己表現能力だ。「よく話してこそ成功する」という言葉もあるように、競争時代には自分の見解を正確に伝えて相手を説得させるパワーが「生き残るための武器」になる。先進国は最近、演劇と美術教育を強化した。学生たちの表現力を高めるためだ。中国の清時代の学者である欧陽脩は、よい文章を書くために「三多」を勧めた。たくさん読んでたくさん書かなければならず、いろいろと考えなければならないというのだ。これまで、このような教育がまともに行われてこなかった。大人たちも「国語を育てること」には関心を置かなかった。

◆書くことができず、話すことができない人が増えれば、国家競争力は劣る。堕落した言語は社会を蝕む。国語の総体的な手抜きをどう解決すべきか。国語は他国の人が守ってはくれない。私たち自ら育てていかなければならない。民族精神が盛り込まれている国語を、破壊されたまま子孫に譲り渡すことは罪悪だ。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com