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[オピニオン]マザコンの家の長

Posted May. 04, 2005 23:17,   

한국어

家族を意味する英語の単語の「ファミリー(family)」は、「ファミリアー(familiar)」に由来する。慣れ親しんでいる関係という意味だ。中国では「一家」、日本では「家族」という言葉をよく使う。「一つ屋根の下に暮す仲間」ともいえるだろう。一方、韓国では「食口(シクク)」がよくいわれてきた。「同じ釜の飯を食う食事共同体」であるわけだ。「食口」ではない家族はただの「同居人」に過ぎないかもしれない。

◆家の長となる40、50歳代の男性は、たまに寂しい思いをする。妻に食事の世話をしてもらえなかったり、子どもと一緒に食卓を囲むことがなかなかできなかったりした時だ。その度に思い出すことがある。帰りが遅くなってもオンドル(床暖房)部屋の一番暖かいところの布団の下には、ほかほかのご飯がおいてあった時代の記憶や、酔っ払って帰ってもお腹を壊すからといつも食事を作ってくれた母親のことを…。貧しかったけど、家族の絆や愛情では豊かだった時代だ。

◆寂しさの度合いがひどくなると、時々家出の衝動に駆られる。子どもに無理をいわれたり、妻と子どもに「仲間はずれ」にされたときだ。仕事にくたくたになって家に帰ってきたとき、たまに玄関先でわが子に迎えられたりすると、恐縮するほどだ。子どもは親のせいで傷つけられるといわれるが、家の長もわが子が何気なく投げかけた一言に胸が痛むものだ。ただ、口にして言わないだけだ。

◆私も「私の子どもの日」がほしい。子どもの日の今日、一人暮らしの母親のところに行って、一晩泊まりに行きたいものだ。五十歳になったいい大人でも、母にとっては面倒をみたくなる子どもではないか。腕によりをかけて作った妻の盛りだくさんの料理も、母の素朴な食事の比ではない。お母さんの手作り料理に慣れ切った息子の味覚は、腕前のいい妻でもなかなか変えられない。70歳、80歳の老母でも子どもの日になると、白髪やはげ頭の子どもを思うという。親は老いても子どものことを案じ、子どもはいつまでも親を悩ませるもののようだ。

呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員、oscar@donga.com