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[オピニオン]あ!洛山寺よ!

Posted April. 06, 2005 23:13,   

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植木日に発生した山火事で千年の古刹、洛山寺が廃虚と化していく光景を見た。自分の体が焼かれるような苦しみを感じた。心の慰めを求めてここを訪れ、境内を歩いては癒されていた人々にとっては、まるで生家を失ったような痛々しさだったはずだ。洛山寺は並みの寺院ではない。新羅華厳宗の開祖である義湘大師が唐留学から帰って建立(671年)した、韓国初の観音聖地だった。

◆洛山とは、梵語のポタラカ(Potalaka)を音訳した語で、観世音菩薩が常に宿るという意味。世の苦しみの声を聞いてくれるという観世音菩薩のように、洛山寺は韓国仏教の母なる存在である。朝鮮王朝の太祖李成桂(イ・ソンゲ)の祖父母が洛山寺で祈りをささげて子を授かったというから、朝鮮の建国ともゆかりがある。それゆえ、朝鮮王室は洛山寺に春と秋に官吏を送り、周囲にお城を築くなど精魂を込めた。今回の火事で焼失した洛山寺の銅鐘(宝物第479号)も、8代目の王の睿宗が、父親の世祖を称えて洛山寺に布施した梵鐘である。

◆ご利益の祈願所として知られている紅蓮庵と、義湘大師が禅定に入ったりした義湘台が災いを免れたのは不幸中の幸いだ。紅蓮庵は、7日間昼も夜も祈りに没頭していた義湘大師の目の前に一本の紅蓮が忽然と咲いたところに建てられ、紅蓮庵と命名された。法堂の床に穴が開いているため、床を開くと、東海の波のうねりが一目に入る。義湘台に六角亭をつくったのは萬海・韓龍雲(ハン・ヨンウン)和尚だ。

◆洛山寺は特に火災と縁が深い。モンゴル襲来により完全焼失した後、朝鮮王朝の世祖時代に立て直したが、壬辰の乱(文禄慶長の役)と丙子の乱の際、再び焦土と化した。朝鮮末期に本来の姿を取り戻したが、韓国戦争でまた焼かれてしまった。しかし、どうしようもない戦争で焼かれたのと、火事によって焼失したのは厳然と違う。物騒な世の中や和尚らの功徳不足を疑わざるを得なくなる。

呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com