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彼らにもっと感謝しよう

Posted June. 08, 2021 08:08,   

Updated June. 08, 2021 08:08

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1360年、紅巾賊が高麗に侵攻した。突然の侵攻に高麗軍は北方で紅巾賊を阻止できなかった。紅巾賊が黄海道(ファンヘド)に到着した。高麗軍は後に正方山城が建てられる岊嶺(チョルリョン)で最後の防衛線を敷いた。ここが突破されれば、首都開京は陥落する。

11月16日夜、紅巾賊1万人が防衛線に接近した。高麗軍はこの動きを感知できなかった。夜の間に騎兵5千人が急いで作った木の垣根に突撃し、木柵を突破した。高麗軍と避難していた民は抹殺された。戦死した高麗軍の兵士と民の数は伝えられていない。ただ、壮絶な惨状で、紅巾賊が死体を放置して南下したため、野原に白骨が転がっていたという。

 

後に政府は、ここに厲壇(れいだん)を建て、祭祀を行った。厲壇は、本来は伝染病のような厄運を祓うための祭壇だ。岊嶺に建てられた厲壇は朝鮮時代まであった。戦死した兵士の魂を慰めるという意味もあったが、それよりも伝染病予防の意味が大きかった。

丙子胡乱中に起こった雙嶺戦闘は、朝鮮軍3万人が清軍300人に敗北したという誤った通説のため、長く非難を受けた。その現場には今、精忠廟という小さな祠堂がある。驚くことだが、うれしく、有難い。どの社会でもそうだが、敗戦は考えたくない。誰かに責任を負わせ、原因の分析は疎かにする。それも誤りだが、何よりも国と民を守るために生命を捧げた兵士に何の罪があろうか。

戦闘で敗北したからといって兵士は失敗者ではない。彼らを称え、感謝し、敗戦の原因を正確に問い、同じ誤りが再び発生しないようにしなければならない。知っていることと実践することは違う。人は日常で数えきれないほど決心するが、ほとんどが三日坊主だ。人は何か大きな失敗を経験してこそ心から反省して改める。国家と社会の反省と改善はさらに難しい。それゆえ戦争史でもこのような悲劇が繰り返される。敗戦を認め、その地に眠る兵士たちに倍の感謝をしなければならない。