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責任なき自由

Posted June. 07, 2021 07:22,   

Updated June. 07, 2021 07:22

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「愛する人よ、何のための自由ですか」(美しい人生、愛、そして仕上がり、「ヘレン・ニーリング」より)

20代後半、偶然出会った一冊の本がある。生態主義、根本主義、平和主義の経済学者であり農民だったスコット・ニーリングと、彼の伴侶で随筆家のヘレン・ニーリングの人生を盛り込んだ本、当時、私の狭小な経験と観点では、その本のごく一部分、知識人だった2人が一生を共にしながら土地を耕し、本を書きながら死の瞬間まで自分の信念と原則どおりに生きてきたという話に感動を受けた。しかし、何度もその本を取り出して読むたびに、この一文が胸に刺さる。

この文章は、米国にいる自分と離れて欧州を旅行していた若いヘレンに送ったスコット・ニーリングの手紙の一節だ。スコット・ニーリングは不慣れな所で社会的責任や他人の視線から離れて、友達と一緒に旅行しながら、「人と物から鳥のように自由な」人生を楽しむヘレンに、自由の本質について質問する。そして、責任のない自由という幻想を痛烈に悟る。

私たちが貧しい東南アジアの子供たちを搾取して作った服を着ている限り、労働者たちが職場で防げなかった事故でむなしく世を去る世の中を生きている限り、この社会の苦痛から自由ではなく、自分一人だけの自由というのは幻想に過ぎない。

瞑想をしながら、自然にブッダの教えに触れるようになった。スコット・ニーリングの鋭い指摘に、すべてのものが相互依存的に存在するという緣起法の教えが浮かび上がる。人よりもっと有名になり、より多く持ち、より素敵な人生を生きることが自我実現の最高のように思える今、社会的苦痛から自由な個人はありえないという彼の言葉をかみしめる。「自由は一つの人生の課題から、別の課題を選択する機会です」(スコット・ニーリング)