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一粒の豆

Posted May. 22, 2021 08:12,   

Updated May. 22, 2021 08:12

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エロスの恋人の名前はプシュケだ。ギリシャ語で「魂」という意味を有する。さらに「生命」という意味もある。それなら生命は魂と同様、簡単に見られないだろう。生命は蝶のように美しいが、簡単に壊れることもあるだろう。彼女の名前は私たちに多くことを考えさせる。

自分の生命を捨てようとする人に会った。見えないものを捨てようとすることは大変難しい。生命をなぜ大切にしなければならないのか尋ねる人にも会った。簡単に壊れるものを守ることも難しい。しかし、生命には理由がない。大変で難しくても守らなければならない。本当だろうか。本当だ。キム・ジュンテの「一粒の豆」を読んでみればわかる。この詩が感動的な理由は、生命が無条件に大切だからだ。

一粒の豆を拾うことがこのように感動的なことなのか。踏まれ、転がる一粒の豆を拾い上げることがこのように涙が出ることなのか。これはたいしたことではない。すごいことだ。詩人も話す。一粒の豆は、「途方もない生命」だと。むやみに捨てられた生命を再び生かした時、詩人は一人ではなかった。全地球が、すべての生命が共に見守っていた。

エミール・シュタイガーは、詩は魂の力で満たされると言った。今日ではその言葉を少し変えてこのように書かなければならない。詩は生命の力、生命を守る力で満たされると。

文学評論家