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「選手として父より有名になりたい」 アートスティックスイミングの男子1号のピョン・ジェジュンの「希望事項」

「選手として父より有名になりたい」 アートスティックスイミングの男子1号のピョン・ジェジュンの「希望事項」

Posted October. 14, 2020 10:42,   

Updated October. 14, 2020 10:42

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「いつか五輪の正式種目になるはずです。その日を想像すると楽しきうなるんです」(笑)

かつてシンクロナイズドスイミングと呼ばれたアートスティックスイミングは禁断の種目だった。1984年のロサンゼルス大会から五輪の正式種目になったが、2015年にカザーン世界水泳選手権から混合デュエットが正式種目に採択されるまでは男子選手を見かけることはなかったからだ。だからこそ、昨年光州(クァンジュ)世界選手権のアートスティックスイミングで海外の男子選手が拾うしたダイナミックな演技は、国内観客を虜にするに十分だった。

未開地だった韓国アートスティックスイミングに期待株が登場した。禁断の壁が破られた2015年に韓国男子では初めてアートスティックスイミングに入門し、一日一日技量を磨いているピョン・ジェジュン(17=トングァン高2年)だ。ジュニア時代の2018年、国際水泳連盟(FINA)カナダオープンワールドシリーズ・混合デュエットで優勝したピョン・ジェジュンは、新型コロナウィルスの影響で非対面大会として開催された今年も、2大会(7、9月)で世界2位となり、猛烈な勢いを見せている。6日、京畿道城南(キョンギド・ソンナム)の多目的プール「アクアライン」で取材に応じてピョン・ジェジュンは、「世界の選手たちと争って良い成績を出していると、自信もついて大きなモチベーションになっている」と話した。

ピョン・ジェジュンにはアートスティックスイミングがぴったりのようだ。母は1933年にデュッセルドルフ(ドイツ)ジュニア世界選手権で韓国にアートスティックスイミング史上初めて国際大会金メダル(ソロ、チーム)をもたらしたイ・ジュヨン・スターシンクロクラブ監督(42)だ。父はバラードの皇帝と言われた人気歌手ピョン・ジンソプ(54)。両親から受け継いだ運動神経とリズム感覚を同時に受け継ぎ、様々な動作を繊細かつ正確に表現することに長けているとの評価を受ける。身長(174センチ)に比べて長い手足も演技にはプラスになっている。

しかし五輪ではまだ男子に門戸を開放されていないため、男子1号のアートスティックスイミング選手として耐えなければならない苦労も少なくない。ペアを組む女子選手が代表メンバーに選出されると、新しパートナーを探さなければならない。アートスティックスイミング特技性として進学できる大学も国内にはない。このため、アートスティックスイミングに似た現代舞踊の特技性として進学するため、別途の受験準備も並行している。両方の日程が重なる日は、1日の練習時間だけで計7時間を超える。体力面で厳しいはずだが、ピョン・ジェジュンは「(男子)第1号といこともあって、周りで応援してくれている。一緒に練習する女子の同期たちも、いつでもデュエットを組めるう、自分の振付以外にも僕の振付を覚えてくれている。頑張れと周りから助けられているので頑張る他ない」と語った。

ピョン・ジェジュンに「希望事項」を聞いた。「ジーンズが似合う女~」で始まる父のヒット曲のタイトルでもある質問に、「アートスティックスイミング選手として父より有名になりたい」とニヤッと笑った。国内第1世代のバラード歌手として1987年にデビューしたピョン・ジンソプは1枚目のアルバムで韓国初のミリオンセラーとなり、1990年代の歌謡界に君臨したスーパースターだ。

ピョン・ジェジュンは、まだ「ピョン・ジンソプの息子」と呼ばれることに慣れている。ピョン・ジェジュン本人も、良く知っている。しかし、優しい顔で笑みを見せながらも、練習のためにプールに飛び込むと強烈な視線に変わって完璧な演技を目指して何度も同じ動作を繰り返す。水の中で新しい道を切り開いている情熱なら、いつかピョン・ジンソプが「ジェジュンの父」と呼ばれる日を期待しても良さそうだ。


金培中 wanted@donga.com