Go to contents

温故知新

Posted July. 21, 2020 07:47,   

Updated July. 21, 2020 07:47

한국어

電撃戦は、第2次世界大戦では先端の戦術だった。リドル・ハートによると、第2次世界大戦前に機甲戦術の価値を肯定した将軍は、欧米で20人ほどしかいなかったという。

米国を率いたジョージ・パットン将軍は1885年生まれ。祖父は南北戦争を南軍で戦って戦死した。パットンは、祖父の鞍に座って乗馬を学び、ジョン・モスビーという伝説的な南軍騎兵隊の指揮官から騎兵の武勇談を聞いて育った。士官学校時代からパットンは乗馬とフェンシングに没頭した。フランスに行った時は、当代最高のフェンシング教官を訪ね、教えを受けた。

パットンの兵科は古い兵種である騎兵だった。サーベルの達人だったパットンは、中級将校時代に騎兵刀の改良に没頭した。彼は、パットン・サーベルと名づけられた新しい騎兵刀を考案し、既存の騎兵刀に取って代えることに力を注いだ。パットン・サーベルは、鋭くて長く、突くことが中心だった。従来の騎兵刀は馬の上で振り回し、切ることが中心の騎兵刀だった。切ることは威力が劣り、馬の上で振り回すには、体を起こさなければならない。突くことは馬の上から体をかがめればできる。長い刀は敵より先に正確に攻撃できる。何よりも切ることは線で、突くことは点だ。すべての攻撃で突くことが最も防ぐことが難しい。

 

20世紀、パットン・サーベルは儀仗用の刀以上にはなれなかった。騎兵パットンの人生は虚しいのだろうか。体をかがめて全力で点の攻撃をせよ。大胆に突け。1秒でも先に突いた方が勝つ。これは、電撃戦の論理にそのまま適用される。多くの将軍が電撃戦の教理に懐疑や恐れを感じた理由は、まさにこの突くことと点の攻撃に対する信頼と勇気が足りなかったためだ。

剣術は20世紀の戦争では古い。しかし、剣術の原理は戦争の普遍的な原理だ。これを区分する能力、古いことから普遍的で未来的な真理を見出す能力が知恵だ。

歴史学者