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「私が戦争を防ぎ、数百万人を救った」

Posted October. 04, 2018 08:53,   

Updated October. 04, 2018 08:53

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トランプ米大統領が数ヵ月間、口癖のように言う言葉が、「私が韓国の戦争を防いだ」という自画自賛だ。果たしてファクトに基づいているのか。

トランプ氏は、「私が就任した時は、オバマ氏が引き金を引いて戦争に入る直前だった」と主張する。しかし、オバマ政権の人々は、米紙ニューヨーク・タイムズのインタビューで、「オバマ氏は様々な軍事的選択肢を検討したが、韓国が受ける危険があまりにも大きいという結論を下した」と反論した。ワシントンの外交専門家も筆者に、「米国はいかなる安保問題でも対話から軍事行動まですべての選択肢をテーブルに置く。だが、それこそ検討にすぎず、オバマ政権が真剣に軍事行動に傾いたことはない」と伝えた。

 

記事検索システム「KINDS」に、「戦争、北朝鮮、核、米国の先制攻撃」を検索してみた。トランプ氏が当選した2016年11月8日を基点に、それ以前の8年間は256件あったが、戦争の可能性を憂慮する内容はほとんどなかった。しかし、トランプ氏が当選した日から昨年末までの1年1ヵ月間は706件にのぼった。

実際、北朝鮮の爆撃は、トランプ氏の就任前は可能性がほとんどゼロだった。国民の安全を最優先の価値と考える米国が、自国民数十万人が報復攻撃の射程圏内にあるのに戦争を強行することは現実的に不可能だ。

クリントン政権が1994年に北朝鮮が爆撃しようとしたというが、これは誇張だった。筆者は、当時寧辺(ヨンビョン)爆撃計画の責任者だったウィリアム・ペリー国防長官とロバート・ガルーチ北朝鮮核特使を2006年と07年にインタビューした。要旨は、クリントン氏が93年から6ヵ月ほど爆撃計画を検討し、戦争の備えを命じたが、実際に実行を決めたことはないということだ。「準備は十分にしたが、望んでいたコースではなかった。最終的に採択しなかった」という説明だ。

しかし韓国では、北朝鮮に対する爆撃が差し迫り、米国人を避難させようとしたと伝えられている。これと関連して、金泳三(キム・ヨンサム)政府で儀典首席と統一次官を務めた金錫友(キム・ソクウ)氏は最近、寄稿で「米大使館が有事に米軍の家族を避難させるための計画を日常的に点検する案内書を外交安保首席が入手し、金大統領に報告した」と振り返った。当時、秘書室長だった朴寛用(パク・グァンヨン)元国会議長も、「外交首席のメモを見た金大統領が、翌日クリントン氏に電話をかけて戦争はないという返事を受けた」と話した。

昨年の戦争危機論は、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長がミサイル開発を急ピッチで進める状況で、大統領がトランプ氏という米史上最も予測不可の人物であるために起こったことであって、米国の韓半島政策を含む構造的条件が戦争に傾いたことはなかった。

危機を引き起こした当事者が、自分のおかげで危険がなくなったと、有り難く思えということよりも憂慮されることは、米国でも韓国でも「戦争 対 平和」のフレームが誇張して設定され、非核化という本質を曇らせる現象だ。「現在、韓国が推進するのは、戦争の代替物として選択したもの」というフレームを作れば、自分が強行する方向に対する批判を「戦争を望むのか」と追い詰めることができるようになる。過去に極右勢力が「赤化か安保か」と言ったことと方向は正反対だが似たフレームだ。

そのようにして誰が政治的利益を得ようとも、重要なことは非核化の実現だ。しかし、現在の進行方向は、北朝鮮がパキスタンのように静かに核保有国に向かう軌道の可能性があり、心配される。正恩氏はこれまで面前で挑発する戦略を取ってきたが、今年に入って核燃料を生産しながらも大人しい羊のように振る舞う。パキスタンも、98年の核実験で核放棄の圧力を受けたが、その後20年間、静かに過ごし、ある瞬間から誰も問題と見なさなくなった。


李基洪 sechepa@donga.com