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嵐よりも強い意志

Posted August. 02, 2018 08:51,   

Updated August. 02, 2018 08:51

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吹雪が吹き荒れる海の上の小さな蒸気船一隻が危うく浮いている。激しい嵐と波がすぐにでも船を飲み込むような緊迫した状況を、画家は荒く素早い筆づかいで生き生きと伝える。英国民画家と呼ばれるウィリアム・ターナーの晩年の絵だ。吹雪の海をターナーはどうして、このように躍動感あふれるように描くことができただろうか?

貧しい理髪師の息子として生まれたターナーは、子供の頃から絵に天才的な才能を示した。15歳の時、英王立美術の展示に参加し、24歳で王立美術院の準会員に選ばれた後、32歳でそこの教授になるなど、早くから絵の実力を認められて、画家として最高の栄誉を得た。しかし、1842年にこの絵が展示されたときは、厳しい批判に苦しんだ。形が不明な「吹雪」は、リアルな風景画に慣れていた当時の人々には衝撃そのものだったからだ。とある評論家は、「シャボン玉と漆喰の塊」と嘲笑した。若い評論家ジョン・ラスキンの考えは違ったが、彼は1843年に書いた「近代化論」で、「海の動き、霧、光が今までキャンバスに描かれたものの中で最も荘厳だ」と、この絵を絶賛した。実は「吹雪」は画家自身が直接体験した遭難経験をもとに描いたものだ。ターナーは、自分を批判する人たちにこう言い返した。

「この絵、理解してもらうために描いたものではなく、当時の状況がどんなものだったかを示すためのものだ。嵐を観察するために乗組員に私をマストに縛ってもらったし、その4時間の間に生き残ることができるという期待は全く持つことができなかった。しかし、できれば、私はこの状況を記録したいという思いで胸がときめいた」

当時、彼は67歳だった。生死のかかった緊迫した状況の中でも、彼は画家としての任務をはっきり意識していたのだ。ターナーの絵が、現代でも感動を与えるのは、すでに達成した成功に満足せず、革新的な芸術のために絶えず挑戦し、実験していた行為の結果だからだろう。

美術評論家