Go to contents

私たちは皆「偉大な演技者」かも

Posted October. 12, 2016 09:08,   

Updated October. 12, 2016 09:10

한국어
子供のころから嘘ばかりついていた。

ある嘘は自分までだました。実際、私は不穏な欲望や情けない堕落、いや、その程度の意味もない何でもないということの結晶体にすぎなかったが、社会や家族の忠実な一員であり結構健全な思考の持ち主のように演技することはそれほど難しくなかった。卑劣な装いの見返りは孤独だった。

 

ある日、兄が集めていたレコードのコレクションからそのレコードを発見した。英国のグループ 、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリー(1946~1991)が出したシングル「The Great Pretender」。初めてそのレコードをプレーヤーに置き、聞こえてくる声に驚いた。「ウウウウ イェェス アアアイム ザ グレイト~」と伸びる低音が悪魔の声のように感じられた。1、2曲入ったシングルは回転数を「1分当たり45」に選択して再生しなければならないことを知らなかった私に、普通よりゆっくり再生されたあの音楽は恐ろしい嘘のようだった。

「そう、僕は偉大な演技者さ/上手くやってる振りをしてるのさ/孤独だけど、誰も話しかけてくれない・・・それでもまだ僕のまわりに居るつもりかい」

 

45回転で再生したその歌は幻想的だった。恋人を失ったが、胸の内を隠して何ともないように、楽しそうに過ごしている自分を偉大な演技者だと歌うこの曲は、嘘のようになめらかで華やかだ。オーケストラを模写する黄金の音色のシンセサイザーのサウンドまでもがすごい演技者。マーキュリーの音声は蝶のように飛び回る。

マーキュリーはこの歌のミュージックビデオに異例にも自分の専売特許であるひげを削って出演した。そして自分の以前の姿を映し、「私は偉大な演技者」と歌う。単なる別れ歌ではないのだ。1955年にプラターズが出したこの曲を自分のための歌だと言ってマーキュリーはカバーを望んだという。ひげを生やしていたマッチョ、王冠をかぶった暴君を舞台の上で演技したマーキュリーは孤独だったようだ。私のように。世の中に生きるすべての一人のように。



임희윤기자 イム・ヒユン記者 imi@donga.com