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オ・ジンヒョク、韓国アーチェリーの歴史を射る

オ・ジンヒョク、韓国アーチェリーの歴史を射る

Posted September. 18, 2014 03:17,   

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アーチェリー韓国代表のベテラン、オ・ジンヒョクは韓国代表になることがオリンピックで金メダルを取ることより難しいと言われる種目だ。あまりにも競争が激しいので、ほぼ毎年代表メンバーが入れ替わるほどだ。

これまで35歳でメジャー大会(五輪、アジア大会、世界選手権)の代表に選ばれてきた韓国選手は、2008年の北京五輪に出場したパク・ギョンモが唯一だった。男子代表のキム・ソンフン監督は、「オ・ジンヒョクは2年後に開かれるリオジャイネイロ五輪出場も有力だ。韓国アーチェリーの歴史を書き換えた選手だ」と評価した。

オ・ジンヒョクは19日のアジア大会開会式で、女子フェンシングのナム・ヒョンヒと共に、参加選手団を代表してフェアプレイを宣言する選手宣誓を行う。わずか数年前には想像もできなかったことだ。

●もう一度だけ、泰陵選手村で…

オ・ジンヒョクは2012年のロンドン五輪で韓国男子アーチェリーでは初めて個人戦金メダルを獲得した。その後も善戦を続け、現在男子の世界ランキング1位を守っている。

選手として光栄に満ちた人生だと思われそうだが、長い無名時代を経て雑草のように試練を耐え抜いた。高校生だった1999年、初めて太極(テグク)マークを着けた。だが翌年に代表落ちし、しばらくを彷徨った。2007に代表に招集されたが、翌年の選考戦でまたも脱落。オ・ジンヒョクは、「選手を終えるにも、もう一度だけ泰陵(テルン)選手村の食堂の飯を食べて見てからにしたいと思った」と話した。

天は、彼を見捨てなかった。オ・ジンヒョクは、「ある日、感じがつかめた。しめたと思った。天から授かった天上からの贈り物だった。その後、感覚を忘れまいと必死でかじりついている」と語った。2009年に念願の代表入りを果たし、その後は男子リカーブ代表のエースとして活躍している。

オ・ジンヒョクが最高の座を守り続けられる原動力は努力だ。皆が休んでいる夜中や日曜にも、一人で矢を射続けた。休暇中にも「これだ」と思った瞬間、すぐアーチェリー場に駆けつけて1、2時間ずつ弓を引く。「努力した分、成績が出るときは大きな達成感を覚える。思った通りに矢が飛んでいくときの喜びは、何とも替えられない」と話した。

●肩の損傷を抱えて

オ・ジンヒョクの弓は、他の選手の弓より重い方だ。張力(弓を引くとき弦にかから力の大きさ)も大きい。もっと強く矢を飛ばすためには、体にさらなる無理がかかるのは仕方ない。

練習の虫で、肩も正常ではない。回旋筋腱板の損傷が進み、弦を引くたびに肩で「プツッ」という音がする。3年前に初めて音がしたときは、弦を離したときの音と勘違いし、0点を射止めたこともある。

最近は治療とリハビリを並行している。3ヵ月毎に損傷した部位に潤滑油の役割をする注射を打ってもらっている。オ・ジンヒョクは、「リオデジャイネイロ五輪に出るチャンスがあれば最高だろうけど、実際にどうなるかは誰にも分からない。先のことは考えずに、目先のことだけに集中したい。まずはアジア大会での2冠(個人戦、団体戦)が目標だ」と話した。