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[オピニオン]「鄭道伝」と「龍の涙」

Posted February. 14, 2014 03:01,   

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KBS1TVの週末の大河ドラマ「鄭道伝(チョン・ドジョン)」が人気だ。史劇マニア層の中年男性視聴者に好評だ。中堅俳優の演技力や歴史の歪曲がない忠実な考証が引き立つ。国会議員補佐官だった作家の話の展開もスピードがあり、隙がない。この史劇は、高麗の恭愍王殺害直前の1374年から鄭道伝が殺害された1398年までの「麗末鮮初(高麗末〜朝鮮初期)」24年間を鄭道伝の視点で扱う。

同じ放送局が18年前に放映した「龍の涙」は、最高の大河ドラマの一つに選ばれる。1997年、大統領選挙を控えた時期に視聴率が49%まで上昇したこの史劇も、麗末鮮初を扱った。李芳遠(イ・バンウォン)の王権と鄭道伝の臣権が衝突する過程を当時の大統領選政局の話題だった内閣制合意と絶妙に結びつけた。権力闘争を「父子間でも権力は分けることができない」という集約的な言葉は話題を集めた。

しかし、同時代を扱った両政治史劇が与える感じは明確に異なる。李成桂(イ・ソンゲ)が1388年に威化島回軍する場面から始める「龍の涙」は、上層部の権力闘争に焦点を合わせた。一方、「鄭道伝」は民が主人になる世の中を夢見る宰相鄭道伝にスポットライトを当てることに重点を置く。この史劇は、腐敗し病んだ高麗末期の世相に食い込み、庶民生活を後回しにした韓国の現実政治を皮肉る。

鄭道伝は、高麗朝廷の親元政策を批判して島流しに遭う。民衆の凄惨な暮らしを目撃しながら何もできない自分の境遇を嘆く。李成桂を助けて1392年に朝鮮王朝を築いた鄭道伝は、民本政治という新しい王朝の理念とシステムを取り入れて設計する。1398年夏、「第1次王子の乱」で大逆罪に追い込まれて惨殺された鄭道伝の復権は、500年が過ぎた高宗(コジョン)の時に実現した。

「龍の涙」は、朝鮮王朝の基礎を固めた鄭道伝を史料考証を通じてスポットライトを当てた初の史劇だ。太祖実録には、鄭道伝が李芳遠に命ごいをしたが、惨殺されたと記録されている。しかし、このドラマは絶命の時に自嘲を残して息を引き取った鄭道伝の最期を壮絶に描いた。放送作家の李煥慶(イ・ファンギョン)氏は、「朝鮮建国に大きな功績を立て、波瀾万丈の生涯の人が卑屈に死んだわけがない」と話す。

「鄭道伝」は、様々な史劇で逆賊・奸臣など否定的に描かれた鄭道伝の復権の完結版になるだろう。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は新年の会見で、官邸に戻った後も報告書を読むことに余念がないと述べた。それでも一息つくことができる週末には「鄭道伝」を見て歴史と対話する余裕を持ってほしい。600年前、鄭道伝が夢見た民本の世は、今でも追求の価値がある普遍妥当な課題だ。

朴大統領は、大統領選挙出馬の際、「50年以上持続できる国民幸福の礎石を築く」と誓った。「統一は大当たり」と言い、韓半島統一議論の火種にもなった。しかし、大統領が独走する「リーダーシップ」では成功が難しい課題だ。地位をかけて直言できる有能な官僚の参加が切実だ。彼らが主体的に国政を導き、国民も参加してこそ実践可能だ。そうした点で、責任首相制度の消滅と長官の存在感不足は残念だ。

朝鮮王朝は、世界史でも珍しく単一王朝で519年間続いた。鄭道伝が礎石を築いた民本政治の理念と君主と宰相の協力政治システムこそ、王朝を支える本質だった。麗末鮮初と今を同一線上で比較することはできないが、乱世という点では似た点もある。朝鮮王朝を設計した鄭道伝の苦悩と挫折、夢と実践の描く史劇を見て、成功した大統領の道を模索することを望む。