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わけの分からない教科書の狂風に、田舎の高校生らだけが傷つく

わけの分からない教科書の狂風に、田舎の高校生らだけが傷つく

Posted January. 10, 2014 04:05,   

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慶北駙松邑月幕里(キョンブク・チョンソンウブ・ウォルマクリ)の放光山(バングァンサン)の麓にある青松女子高は、小さな学校だ。全校生徒が140人で、1学年当たり2クラスのみだ。昨年の卒業生は47人。保護者らは、青邑末の周辺でその大半が農業を営んでいる。最近、青末りんごが有名になってからは、りんごの栽培で収入が少し増えたという農家もいくつかある。

この小さな田舎の学校が、この3日間、狂風の真ん中に立たされた。右派寄りの記述を巡り、議論が起きた教学社(キョハクサ)の韓国史教科書を採用したという理由からだ。青末女子高は、ポータルの検索語トップについた。ソーシャルネットワークサービス(SNS)では、同学校への批判や擁護が交互に殺到した。学校にカメラやマイクを手にした取材陣が詰め掛けてきた。

保護者らが、教学社の教科書反対の意見を出すのは十分理解できる。昨年11月、教育部は、高校の韓国史教科書8種の過ちに関する調査の結果を発表した。教学社の教科書は、計251件と、ほかの教科書より2〜4倍も過ちが多かった。検定を通過したが、執筆過程での完結性が、ほかの教科書に比べ落ちるような気がする。りんごに喩えれば、子供らが食べても健康に異常はないが、一番おいしくて栄養の高いりんごではないことになる。保護者の立場では、ただ食べられるりんごではなく、最も甘くて栄養の高いりんごを食べさせたいのが、「人情の常」だ。

問題は、青末女子高の保護者らではなく、外部から反対する人たちが、意見を表す方法だ。全国教職員労働組合や進歩性向の市民団体、一部のネットユーザーらのやり方は、暴力的だ。青末女子高が、教学社教科書を採用したというメディアの報道が流れた7日、学校は麻痺となった。職員室や校長室には、身分を明らかにしない人たちによる批判電話が殺到した。学校の前には、「親日」や「独裁美化」などの殺伐な言葉を打ち出したピケデモが登場した。バク・ジハク校長は記者に会って、「生まれて初めて経験することであり、胸がどきどきする」と、つらい気持ちを打ち明けた。「教科書が偏向しており、不義だ」と抗議する人たちのやり方は、正義のものではない。

狂風の真ん中で、人知れず最も大きな傷を負った人たちは、ほかならぬ青末女子高校生たちだ。冬休みの期間中も、生徒らは補充授業のため、登校しており、そのたび、取材陣や見知らぬ大人たち、批判の文句の書かれたピケを目にした。母校に向かって浴びせかけられる様々な出所の知らない批判の書き込みも読んだはずだ。9日、登校の途中に出会った3年生の生徒は、「よくないことで、ネットやニュースに学校のニュースが溢れており、怖いです。どうにか早く解決され、学校が以前のように静かになればと思います」と話した。

騒ぎは一段落し、来月、新学期が始まる。学校を揺さぶった数多くの人たちは消えるはずだが、学校は至るところに傷を負ったまま残っている。この過程を見守ってきた生徒らは、果たしてどんな気持ちだろうか。授業時間に再び、かつてような目で、先生を眺めることができるだろうか。再び明るく笑い、校長先生に挨拶できるだろうか。10年、20年後、幼年時代のかすかな思い出として残るべき母校が、傷だらけの記憶として残れば、その責任は誰にあるか、深く考えなければならない。