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韓国サッカーの新しい歴史を書く「準備できたリベロ」

韓国サッカーの新しい歴史を書く「準備できたリベロ」

Posted April. 13, 2013 03:28,   

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サッカーワールドカップ1990年イタリア大会を準備していた1989年秋のある日、孝昌(ヒョチャン)運動場に足を運んだ。当時、サッカー代表チームのトレーナーで高麗大学の学生だった洪明甫(ホン・ミョンボ)を見るためだった。主力選手たちの故障が相次ぎ、守備ラインが弱くなっていた。有望な選手を探していたところ、洪明甫に冠する話を耳にして、自分の目で確かめたかった。世間の評判は間違っていなかった。MFとDFに跨ってプレーする洪明甫は、ボールを扱うセンスに優れていて頭を使ったプレーをしていた。試合一つで判断するわけにはいかなかったので、すぐKBSを訪ねて、それまで洪明甫が出場している高麗大学の試合の映像を全部確かめた。そして抜擢した。2012年ロンドン五輪で韓国サッカー史上初の銅メダルを獲得した洪明甫五輪代表監督(44)と私との因縁はこうして始まった。

李会澤(イ・フェテク)監督はイタリアW杯で3バックを採用した。スイーパーは洪明甫にはもってこいのポジションだった。最初は不慣れもあったが、1990年の冬季合宿を経てから完全に定着。イタリア大会の本大会で全試合に出場し、韓国を代表するDFとして位置づけられるようになった。

洪明甫は、人を圧倒するカリスマ性の持ち主でリーダシップまで備えている。選手たちを一つに束ねる融和力にも優れていた。イタリアW杯が終わって、プロサッカー、浦項(ポハン)のコーチをしていたとき、洪明甫を迎え入れた。高麗大学を卒業した洪明甫は、しばらく兵役を解消した後、1992年から浦項に巣食った。

綺羅星ごとく大先輩たちが名を連ねる中で、洪明甫にキャプテンの腕章を任せた。洪明甫は、先輩と後輩の間で架け橋の役割を上手にこなした。浦項は、そのシーズンにプロサッカーの頂上に立った。洪明甫の名前が知られると、日本のJリーグからラブコールが殺到した。だが、浦項はまだ洪明甫を必要としていた。当時の浦項製鉄所所長だった李亀澤(イ・グテク)元ポスコ会長に、「お願いですから、(洪を)引き止めてください」と懇願した。李会長は、洪明甫に、当時としてはプロ初の「年俸1億ウォン選手」のタイトルを贈った。

実は洪明甫を信用し過ぎたあまり狼狽した経験もある。2000年シドニー五輪代表の預かっていたとき、洪明甫をワイルドカードとして使った。ところが五輪を控えて行ったナイジェリアとの強化試合で怪我をした。主治医は大した怪我ではないと言ったし、洪明甫自身も大丈夫だと言ったので、そのまま引きずっていたが、大会を1週間残して「監督、どうも駄目ですね」と言ってくれたため、姜迵(カン・チョル)に替えなければならなかった。当時の守備ラインは洪明甫を中心に組まれていた。

結局、スペインとの初戦(0−3敗)を完全に駄目にしたため、2勝1敗をしても惜しくも予選リーグで敗退した。ロンドン五輪を控えて、洪明甫に「シドニーで私に作った借りを返すためにも、かならずメダルを獲得してもらう」と話したら、「あの悪夢のようなことは、自分も忘れられません」と言い残しては、銅メダルで返してくれた。

洪明甫は、韓国サッカーの発展を牽引するために必要な資質をすべて備えている。頭も良くて、自分が経験したすべてのことを滋養分にした。2002年韓日W杯ではヒディンクという名将の下で選手としてプレーし、4強神話を作り上げた。2006年ドイツW杯では「リトル将軍」アドホカート監督をコーチとして支えた。最高の戦略家であるファーベック監督とは2002年から2008年まで縁を

洪明甫は、20歳以下世界選手権の2009年エジプト大会(8強)、2010年広州アジア大会(3位)など代表チームを率いて自分だけのカラーを出してきた。ときには厳しく、ときには兄貴のようなカリスマ性を見せつけた。徹底した実力とコンディション、そしてチームワークを作り上げる戦略と戦術で選手たちと信頼を築いた。そして、具滋哲(ク・ジャチョル=独アウクスブルク)と金甫鍫(キム・ボギョン=カーディフシティ)などいわゆる「洪明甫チルドレン」を中心に韓国サッカーの歴史に大きな業績を残した。

2002年W杯が終わったあと、洪明甫が母校高麗大学での講演会で「準備ができてなければ、どんなチャンスが来ても掴むことができない」と話したことがある。洪明甫は徹底的に「準備できたリベロ」だ。自分に与えられた機会に自惚れることなく、さらに前へと進んだ。ロンドン五輪で祖国に錦を飾る業績を後にして、今も師匠ヒディンク監督(ロシア・アンジ)の下で修業を続けている。韓国サッカーには、このように未来のために準備に励み続けるリーダーが必要だ。洪明甫は韓国サッカーの大きな資産なのである。

許丁茂(ホ・ジョンム)大韓サッカー協会副会長