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ソウル南山の白凡広場で旧ソウル城郭などの遺物発掘

ソウル南山の白凡広場で旧ソウル城郭などの遺物発掘

Posted July. 03, 2010 08:48,   

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ソウル南山(サムサン)の白凡(ペクポム)広場で、植民地時代に日本により破損したたソウル城郭と白磁などの遺物100点あまりが発掘された。ソウル歴史博物館は2日、昨年12月から南山の西側の裾野にある南山公園の白凡広場一帯を発掘調査した結果、消えていたソウル城郭の一部が現れたと明らかにした。

同地域は、本来朝鮮時代の首都・漢陽(ハンヤン)を取り囲んでいる都城であるソウル城郭があったところ。日本が1925年朝鮮人に日王制理念を植え込むため、南山に神社の朝鮮新宮を建設し、南山とソウル城郭は大きく破損してしまった。独立以降の1950年代末にも、南山に国会議事堂の建設計画が進められ、南山の城郭はまたしても傷ついた。1912年地籍原図によると、195m長さの城郭があったが、今回の発掘を通じ、43m程度が保存されていることが明らかになった。

ソウル歴史博物館の関係者は、「城郭基底部と本体が3〜5段くらい発掘され、これまで推定だけされてきたソウル城郭の滅失規模が判明した。」と説明した。

これまで南山のソウル城郭は、全体区間を石で石で築いたものとされてきたが、調査結果、一部の区間は基盤岩を垂直に削った後、粘性の強い土を15〜20cm単位で堆積した「土築」方式で作られたものとわかった。土を堆積した上で、簡単に磨いた石を城壁に貼り、城郭を作り上げた。

白磁、陶器、瓦とれんが、青銅類、動物の骨など、関連遺物100点あまりも発掘された。とくに、城郭基底部から白磁瓶2点、陶器瓶3点が一緒に出土された。白磁瓶は、口元が交錯し合う形であり、陶器瓶は瓶を逆さまにして瓶底が天を向くように埋蔵されており、シャーマニズムの意味を帯びているものと推定される。



jjj@donga.com