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永遠の春

Posted April. 09, 2020 08:18,   

Updated April. 09, 2020 08:18

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いつも温かい所に住む人に、春はそれほど珍しくない。長い冬の寒さに耐えた人だけに切実である。生涯狂気と孤独の中に生きたフィンセント・ファン・ゴッホにとって、大都市パリでの生活は特に過酷で寒かった。結局、彼は都市生活に見切りをつけ、暖かい日差しと活気に満ちた色を求めて南フランスのアルルに向かった。

1888年2月20日、ゴッホは期待とは違った、白い雪に覆われたアルルに到着した。数週間が過ぎると、嘘のように春が訪れてきて、果樹園の木々はたちまち花で覆われた。花が咲いた果樹に魅せられたゴッホは、このシーンを積極的にキャンバスに収めた。4月初めから一ヶ月間、14点の連作を完成させた。その中で最初に描いたこの絵は、ピンクのアンズの花が咲いた果樹園の風景を描写している。今まさに芽が出始めたものもあるが、木は花が満開した。手早い筆致と明るくてカラフルな色使い、スナップ写真の構図など、典型的な印象派の技法で描かれたが、日差しを受けて炎のように輝く花びらの描写は、ゴッホならではの感覚的表現である。花が満開した果樹園の絵は、ゴッホに情熱と活気を取り戻した。彼は弟のテオに書いた手紙に、「すべての人に活力を与えるテーマの一つ」として、この絵がよく売れることを希望すると書いた。

春の絵は売れなかったが、アルル時代はゴッホの人生において最も輝く春だった。悲劇的に終わったものの、好きだったポール・ゴーギャンと共同生活をして幸せだったし、旺盛な創作欲で200点の絵を完成させた。依然として躁うつ病に苦しめられ、自分の耳を自傷する劇的な出来事も経験したが、アルルで生涯最高の傑作を誕生させた。

花が咲く華やかな時期はつかの間である。テオによると、ゴッホは「常に他人のためにできる何かを探す温かい心の持ち主」だった。37年の短い人生を炎のように生きたが、彼は私たちに永遠の春をプレゼントしたかったのかもしれない。絵の中の満開の花は、生前の彼があれほど渇望していた幸せと希望の花ではないか。

美術評論家


キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com