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故李秉喆会長の「半導体進出の東京宣言」、韓国企業100年「最高の瞬間」に

故李秉喆会長の「半導体進出の東京宣言」、韓国企業100年「最高の瞬間」に

Posted December. 09, 2019 07:36,   

Updated December. 09, 2019 07:57

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「半導体産業について信仰に近いこだわりを持っておられると聞きますが、そのきっかけは何ですか?」

1985年11月、三星(サムスン)グループの創業者・李秉喆(イ・ビョンチョル)会長との対談で、東亜(トンア)日報の記者がこう質問すると、李会長が答えた。

「私が日本で会った稻葉秀三博士から、『今後の産業は半導体が左右する。軽薄短小なもの作らなければならない』と言われました。また、1982年に米国に行ってみると、半導体への進出が遅れるほど遅れを取るという決心が固まったので、現地で本社に電話をかけて準備するよう指示したんです」

1983年2月8日、李会長は、半導体の中でも最先端技術に属していた超高密度集積回路(VLSI)に対して大規模な投資を行うと宣言した。あの有名な「東京宣言」だ。当時、三星は家電製品用高密度集積回路(LSI)もやっと作っていた時だったので、米インテルが「誇大妄想狂患者だ」と笑った。

李会長は当時のインタビューで、「下手をすれば、三星グループの半分以上が無くなるかもしれないと考えた。しかし、三星でなければなかなかこの冒険に踏み切ることはできないだろうと思って決心した」と振り返った。三星は1992年、Dラムで世界1位についた後、27年間この座を守っている。

東京宣言は、東亜(トンア)日報が外部の諮問委員30人と共同で選んだ「韓国企業100年、量子ジャンプの瞬間」の中で最高の瞬間に選ばれた。東亜日報が2020年の創刊100周年を迎えて、経済・経営学界、理工系教授と元官僚、経済団体の研究院長などで構成された諮問委員を対象に、最高の100シーンについてアンケート調査を行った結果だ。

2位と3位は、韓国経済の今日を支えている鉄鋼や自動車出発の瞬間だった。1973年6月9日、浦項(ポハン)製鉄で初めて銑鉄を輩出した出銑のシーン、1976年に韓国が初めて独自に開発した乗用車「ポニー」の誕生がそれぞれ選ばれた。


キム・ヒョンス記者 ヨム・ヒジン記者 kimhs@donga.com · salthj@donga.com