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10シリングが残した傷

Posted August. 07, 2019 07:30,   

Updated August. 07, 2019 07:30

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少年は誕生日に母親からもらった10シリングで友だちにおごることにした。少年は仲のいい友だち3人とカフェに入って、アイスクリームとチョコレート菓子を注文して食べた。友だちに好意を施しているので、王子にでもなったような気分だった。しかしそれも長くは続かなかった。みすぼらしい身なりの子どもたちが窓の外から彼らをうらやましそうに見ていた。その子どもたちは非白人で、少年とその友だちは白人だった。

そのことは少年に別の事件を思い出させた。エディという名前の非白人の子どもが彼の家で皿洗いと掃除をして住んでいたことがあった。エディの母親はその代価に毎月10シリングを郵便為替で受け取った。少年は誕生日に10シリングを受け取るが、エディは10シリングのために母親と離れて暮らした。その生活が辛かったのか、エディは2ヵ月が経ったある日の夜に逃げ出した。朝にそのことが分かった。警官が草むらに隠れていた子どもを捕まえて連れてきた。エディに罰を与えた人は、警官や少年の親ではなく、その家に下宿していた英国人だった。英国人は、エディが自分の土曜日の朝を台無しにしたとし、罰を与えなければならないと言った。少年は、自分に自転車に乗る方法を教え、芝生でレスリングをし、一緒に遊んだ同年代のエディが、革のムチでふくらはぎを叩かれる姿をひそかに見ていた。

幼かったが、世の中は少年が見ても不公平だった。白人の子どもたちがアイスクリームやお菓子を食べる姿をうらやましそうに見ていた非白人の子どもたち、無慈悲にもムチで叩かれて泣きじゃくるエディ。10シリングにまつわる2つのエピソードは、世の中が正義ではないことを物語っていた。大きな傷だった。少年は後に小説家になり、その傷の意味を探求した。『夷狄を待ちながら』、『マイケル・K』、『鉄の時代』、『恥辱』といった偉大な小説がそうして生まれた。2003年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカ共和国の小説家、J・M・クッツェーがその少年だった。

文学評論家・全北大学教授