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苦しい祝福

Posted October. 09, 2018 09:01,   

Updated October. 09, 2018 09:01

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彼女の大きな黒い瞳は珍しい情熱の炎を放ったが、甘い気質とよく混ざっていた。声は力強いながらも調和をなしていた。美貌はクレオパトラ並みだったが、沈着さと勇気ははるかに上回った。歴史家であるエドワード・ギボンは「ローマ帝国の衰亡史」の中で、パルミラの女王ゼノビアをこのように描写した。ゼノビアが治めていたパルミラは、シリア砂漠の真ん中に建設された巨大都市だった。シリアが誇る世界文化遺産である。都市はほとんど廃墟になって、柱と石の遺跡だけがかろうじて残っているが、それだけでも観光客を驚かせるに十分だ。

砂漠にこのような都市を建設した力は、シリアの地政学的位置からくる豊かさのおかげだった。シリアは古代オリエント諸国から、インドと欧州、北アフリカの産物が交差する貿易の十字路だった。パルミラ王国はローマ帝国でも一番の富国なのでローマの属州時代は繁栄を享受し、ローマの支配から脱して独立したいという夢も持った。ゼノビアの独立戦争は強烈なものだった。エジプトまで領土を拡大し、ローマ軍団を何度も撃退した。ローマ皇帝アウレリアヌスは、ゲルマニアに駐留するローマ最強軍団をシリアに連れて来なければならなかった。その後も戦争は容易ではなく、皇帝自身が負傷するほど苦戦したが、ようやく勝利した。ゼノビアは皇帝の捕虜となった。

ゼノビアの栄光と悲劇は、シリアが4000年間受けた苦痛の縮約版と言える。アッシリアとペルシャ、ローマ、十字軍、オスマンまで、欧州や近東で発起した帝国は誰もかもがシリアをほしがり、征服した。今やラクダ貿易の時代は終わったのに、シリアでは戦争が終わらない。今でもこの地は、米国とロシア、オスマンの末裔であるトルコと中東の石油王国が衝突するポイントになった。一昨年トルコのイスタンブールで、街に座っていたシリア難民の親女を見た。少女はゼノビア並みに美しかったが、ひとかけらのパンを持っており、野良猫たちがそのパンを狙ってぐるりと取り囲んでいた。シリアが役立たない土地だったなら、このような苦しみもなかっただろう。祝福とは、それを守る能力のある国だけに見舞われる祝福といえる。

歴史学者