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「誰かが捨てたものを拾いました」

Posted August. 11, 2018 09:02,   

Updated August. 11, 2018 09:02

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しばらく家族映画は作らないと主張していた是枝裕和監督は、いつそう語ったのかとでもいうように「万引き家族」で戻ってきた。社会が認めない家族の物語である。

「誰も知らない」が東京で実際に行われた衝撃的な児童放置事件からスタートしていたなら、「万引き家族」また、親の死亡届を出さずに年金を不正に受け取って暮らしていたとある家族の実際の事件を基にした。日雇い労働者として、ランドリー工場の労働者として、類似性行為店の労働者として生きる人々が年金に頼って生活するおばあちゃんの家で一緒に暮らしながら、捨てられた子供たちを連れてきては食べさせ、寝かせて唯一の技である万引きも教える。

教えるのは犯罪だが、虐待されて放置された子供たちを温かく抱きしめて愛する。「誰かから捨てられたものを拾ってきただけだ」という。この映画は、彼の「誰も知らない」と「そして父になる」、または「三度目の殺人」の物語に続く家族映画の集合体だ。

「私の映画は全般的に喪失を描くといわれうが、私自身は『残された人々』を描いたと思います」という彼の言葉のように、この映画の主人公たちも捨てられ、残された人々であり、彼らがどのように、社会では決して認めない「家族」の形で自分自身を慰め、生の意志を捨てないのかについての物語である。麺を食べ、コロッケを食べ、尿を漏らした布団も乾かし、海を見に行き、東京の人里離れた古い家で花火を見物していた彼らは、予期せぬ出来事で一緒に暮らそうとしたが、いよいよ別れてしまう。

日常と内面を掘り下げるような映画は、後半に至っては恐ろしいほど冷たい社会と向き合う。おさない祥太(城桧吏)は、「お父さんはこれからおじさんに戻るから」と言って別れる治(リリー・フランキー)を後ろにして、初めて「お父さん」と低く言う。「愛しているから殴るというのは嘘だ。本当に好きなら、愛しているなら、このようにギュッと…」と抱いてくれた信代(安藤サクラ)と別れて、虐待する親の家に帰ってきたゆり(佐々木みゆ)は、映画の最初のシーンのように、寒い冬、自宅前の狭いベランダから世界を眺める。

痩せて小さなゆりの顔で画面を閉じるこの映画のエンディングで、私はいかなる希望も発見できなかった。信代の教えの通り「申し訳ない」と謝罪しないことを学んだゆりは、後で信代のような大人になるのだろうか?それは希望だろうか?冷静で歪んだ卑怯な社会が子供の前に広がっているだけだ。非凡な監督のおぞましい見通しが、長く記憶に残る秀作である。

ちなみに、日本で6月8日に公開された後、ずっとボックスオフィス首位を走っていた「万引き家族」は、一ヶ月が経った7月8日に280万人の観客を動員したという。同じ時期、大韓民国ではとある映画が公開から一週間で同じ数字を記録した。1カ月と1週間…。人口1億3000万人の日本より、年間劇場を訪れる観客数がさらに多い韓国ではあるが、半月足らずで1000万人の観客に迫る映画が誕生する恐ろしい速度戦は、興行しそうな映画に上映館を集中させる「スクリーン独占」の証拠だ。半月ではなく、三、四ヶ月間で1000万人の映画が誕生し、その間に他の映画も共生する市場を夢見ることが、それほど間違っているのか?「万引き家族」は、2800以上の上映館がある大韓民国で、100個のスクリーン規模で、8月10日現在の累積観客が11万人を超えた。