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三ヶ月間李韓烈のスニーカー治療した「美術品の医師」

三ヶ月間李韓烈のスニーカー治療した「美術品の医師」

Posted August. 01, 2018 09:37,   

Updated August. 01, 2018 09:37

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「治療できますか?」

2015年、李韓烈(イ・ハンヨル)記念館から、靴底が砕けて今にも崩れそうな「タイガー」スニーカーの片方を持ってきた。1987年、催涙弾に打たれて亡くなった延世(ヨンセ)大学生李韓烈氏が当時履いていた靴だった。容易でない作業だと予想されたが、キム・ギョム美術品保存研究所のキム・ギョム代表(50)は、 「はい、できます」と迷わずに答えた。

集中治療が始まった。1980年代に販売されたタイガースニーカーの持主を探して全国を駆け回り、壊れていたスニーカーの靴底にエポキシ樹脂を注入する作業などが続いた。3ヶ月間の治療の末、タイガースニーカーは新しい命を得て、今でもこのスニーカーは李韓烈記念館の常設展示ブースに完全な姿で展示されている。

最近、美術品復元家の世界を扱ったエッセイ「時間を復元する男」(文学トンネ)を出版したキム代表を、京畿高陽市(キョンギ・コヤンシ)にあるキム・ギョム美術品保存研究所で会った。キム代表は、「治療した翌年である2016年に李韓烈スニーカーの復元過程を盛り込んだ小説『Lのスニーカー』(民音社)が出版され、昨年は映画『1987』で再び取り上げられた」とし、「本のタイトルのように遺物の復元は、単にモノではなく、その中に込められた時間と物語を蘇らせることだ」と語った。

マルセル・デュシャン、サルバドール・ダリ、白南準(ぺク・ナムジュン)、李聖子(イ・ソンジャ)…。彼らの作品の共通点は、すべてキム代表の手を経たこと。しかし、有名な作家の作品だけを復元するのではない。李韓烈のスニーカーだけでなく、近所の住民の人形、路上で購入した美術品のように、日常の文化遺産がすべて彼の治療対象である。キム代表は美術品を自動車に例えながら、復元にも愛情が必要だと強調した。

「自動車に対する愛情の強い韓国で、もし自分の車が傷つけられることでもあれば、高価な費用を払ってでも修理・復元します。関連産業も大きく発達しているんですね。しかし、美術品や遺物への愛情は韓国社会では大きくないのが現状です。自己所有の美術品を復元することが日常になったフランスや日本など、いわゆる文化先進国と明確に区分されますね。私たちも美術品に対する愛情が高まる社会になればと願います」

韓国における復元の最も顕著な特徴の一つは、世界のどこよりも「速さ」と「効率性」を強調することだ。しかしキム代表は、英留学時代に参加したロンドン・リンカーン大聖堂(1280年に完成)の作業を例に挙げながら、韓国の復元世相に厳しい忠告を与えた。

「リンカーン大聖堂は、今も70年間復元工事が行われています。数百年もの間一緒に生きてきたのに、わずか数十年で健康を診断し、治療するのは大きな問題でないと考えますね。3年間で復元を終えた崇礼門(スンレムン)を見て、100年後の子孫たちは果たして何を思うのでしょうか」


柳原模 onemore@donga.com