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海の伝説になった船長たち

Posted January. 17, 2020 08:09,   

Updated January. 17, 2020 08:09

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船長は決まった当直時間がない。24時間当直だ。時間に余裕がある時は趣味活動をする。新東亜など月刊誌を覚えるほど読む船長もいる。彼は食事の時間に月刊誌の記事の内容を一字も間違わずに読み上げる。特定の物を執拗に収集する船長もいる。

時々は、天才的な才能を持った、何にでも巧みな船長が現れ、後輩を怖気づかせた。良い例がある。プロ野球が始まって旋風的な人気を呼んだ時、釜山(プサン)ロッテ野球団を数年間研究した船長がいた。彼は、船上で原稿を書き、「必勝戦略ロッテジャイアンツ」という本を1990年に出した。その内容に感動を受けたロッテ野球団が彼を球団オーナーにスカウトした。彼は2年間、球団オーナーを務め、最下位のロッテを優勝に導いた。その後、彼は再び船に戻って導船士として活動している。

1960年代、韓国海洋大では航海学科50人、機関学科50人の海技師が卒業した。しかし、彼らが乗船する船舶がなかった。国費で教育した学生に雇用がないことを惜しんだ船長出身の1人の海洋大教授が決断を下した。彼は、教授を辞めて日本に渡った。そして自ら船長になって、日本船舶の一隻に韓国船員を乗せ、船員送出(海外に送ること)を始めた。このように始まった韓国船員の送出は、1980年代には5万人にのぼり、年間売り上げ5千億ウォンを達成した。教授を果敢に投げ出した先覚者の船長がいなかったなら、韓国の海運の発展は難しかっただろう。

最近、中東事態が悪化したが、思い出すエピソードがある。韓国は毎日、大型タンカー1隻が原油を載せて入港する。大半が中東から出発する。ペルシア湾で戦争が勃発した。韓国の精油会社がチャーターした船舶の船員がペルシア湾入港を拒否した。精油会社は大騒ぎになった。この船舶が原油を持ってこなければ大変なことが起こる。これに対し、チャーター船の韓国船舶を探して原油輸送を依頼した。この命令を受けた船舶の船長は、船員を集めて演説した。「死ぬ覚悟でペルシア湾に入って原油を載せなければ、私たちの祖国の産業施設が止まる。一緒に入ろう。反対する人は下船してもいい。「私たちの船員は誰もこれに反対しなかった。船長は無事に原油を載せて韓国に入港した。

今回は別の東海岸の漁船の船長の話だ。彼は船長に進級してまもなく、満船になった漁船を航行させて港の防波堤に衝突し、船が沈没した。船のオーナーは漁業を止めなければならなかった。その後、その船長は別の船主の漁船船長になった。彼は1年にも何度も事故船舶のオーナーを訪ねてきて安否を尋ね、名節の挨拶をした。過ちに対する謝罪だった。経歴を積み上げた船長は、満船の夢をかなえる回数が増えた。そして「水徳」がある船長で名をはせた。後に東海岸の最高船長に成長した。

このように様々な伝説の船長がいる。今の瞬間にも多くの船長が海で職務を誠実に遂行している。彼らのお陰で、貿易も可能であり、電気もつけることができ、水産物も食卓に上がることができる。