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聴衆のいる限り、ザルツブルク音楽祭は続く

聴衆のいる限り、ザルツブルク音楽祭は続く

Posted August. 27, 2019 08:19,   

Updated August. 27, 2019 08:19

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「ジェノバを再び偉大に!」。横50メートルの舞台の半分以上を覆った半透明の布に、ツイッター画面が投影された。「権力を市民に」、「平民よ永遠なれ」…。数えきれないほど多いツイートは、「シモン万歳!」で終わった。

20日、ヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」で幕を開けたオーストリア・ザルツブルク音楽祭大劇場。この重い悲劇のプロローグには、低音の男性歌手だけが出てくる。演出家のアンドレアス・クリーゲンブルクは、この「退屈な」プロローグの背景を14世紀から現代に移した。携帯電話を持った選挙運動員らが舞台を駆け巡り、ソーシャルネットワークサービス(SNS)で世論を造成し、総督を選出する過程が続き、退屈はいつのまにか消えた。

オペラは、政治的象徴にのみ埋もれなかった。舞台はグリマルディ邸宅とシモンの宮殿を半分に分けて調和を成した。シモン役を演じたバリトンのルカ・サルシとアメリア役を忠実に演じたソプラノ・マリーナ・レベッカが25年ぶりに父と娘で再会するシーンは人間味の極端を示した。指揮者ヴァレリー・ゲルギエフは、低音の弦楽器を中央に配置して、圧倒的な低音を披露した。

一方、「フェルゼンライトシューレ」公演会場の舞台に上がった開幕作モーツァルトのオペラ「イドメネオ」は、議論の中心に立った。演出者の過度な介入が問題だった。2年前に「皇帝ティートの慈悲」のように成功を期待していた演出家ピーター・セラーズは、19日の公演でブーイングを受けた。彼は、気候変動を「イドメネオ」の海に投影したが、難民、世代間対立などの問題を一気につぎ込んで散漫だった。音楽にも手をつけて、「レチタティーヴォ・セッコ(セリフ)」をほとんど削除し、3幕の原作は2部に編集された。ただ、テオドール・クルレンツィスの専売特許であるダイナミックな指揮が没入させた。

ピアニスト・マウリツィオ・ポリーニの演奏会も話題となった。1973年にザルツブルク音楽祭でデビューして、60回のコンサートを行った常連だ。18日に祭りの大劇場で会った77歳の巨匠は、歩くことさえ難しく見えたが、ベートーベン・ソナタ32番「アリエッタ」の楽章を淡々と伝えた時、客席は息さえ止まった。

韓国の演奏者もザルツブルク祝祭の舞台に立っている。25日、ベースのヨン・グァンチョルはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のベートーベン9番交響曲のソリストとしてデビューした。17日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴェルディの「レクイエム」公演後に会った音楽祭芸術監督マルクス・ヒンターホイザーは、「来年の100周年にはピアニスト・チョ・ソンジンを招待し、フルーティスト・チェ・ナギョンのCDもぜひ聴いてみたい」と話した。

22日、コンサート中心のスイスのルツェルン・フェスティバルはピークに達していた。健康上の理由でバイエルン放送交響楽団と一緒にできなかったマリス・ヤンソンスの代わりに、ザルツブルク音楽祭で指揮したヤニックネゼ=セガンは、ルツェルン・フェスティバルにもデビューした。ベートーベンのバイオリン協奏曲を熱演したレオニダス・カヴァコスは、ティンパニと2重奏するカデンツァを新たに披露した。ショスタコーヴィチ交響曲第4番は、ルツェルン・フェスティバル・オーケストラの完璧なアンサンブルが輝いた。

「参加は一種の芸術である」。今年で99回目を迎えたザルツブルク音楽祭が訪問者に投げかけた第一声だ。参加は、ほかならぬお祭りを楽しむ聴衆だ。この聴衆により、世界最高の夏祭りは、チケットを完売させながら巡航している。

ザルツブルク・ルツェルン=ユ・ヒョクジュン音楽コラムニスト・クララハウス代表