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先端の米軍を阻止した旧要塞

Posted May. 14, 2019 08:52,   

Updated May. 14, 2019 08:52

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1944年9月、米パットン大戦車軍団が勝利を続け、ライン川に向かって進撃する時、進撃路にメッツ(Metz)という都市が現れた。フランス北東のローレン地方、ドイツとの国境に位置するモーゼル川に建てられた都市だ。1552年にフランス領になり、再びドイツ領になったが、第1次世界大戦後フランスに返還された。この都市は、フランスの伝説的な建築家、セバスティアン・ヴォーバン(1633~1707)が建てた要塞で守られていた。大砲が発達し、以前の城砦では砲弾に耐えられなかった。そのため、いわゆる星模様の要塞(star fort)と呼ばれる設計と工法が登場した。その技術の頂点にヴォーバンがいた。ヴォーバンは、ルイ14世の命令でフランス国境の伝統的な要衝と港を要塞化した。彼が建てた要塞だけで300個にのぼる。今でもフランスには12個の要塞が残っており、世界文化遺産に登録されている。ヴォーバンの墓は、ナポレオンの墓があるパリのアンヴァリッドにある。

いくら傑作だとしても18世紀に建てられた要塞(一部は普仏戦争後に補強)が米軍で最も強く、先端兵器で武装した軍団の手を煩わせるとは思いも及ばなかった。パットン将軍が最も信頼した、朝鮮戦争で戦死したウォーカー将軍が指揮する第20軍団がメッツ攻撃を担った。ドイツ軍の守備隊はたいしたことがなかったにもかかわらず、第20軍団の猛攻に耐えた。城砦の壁が堅固で、大砲で直撃しても崩れなかった。

米軍はまるで中世の攻城戦のように歩兵部隊を突撃させ、城を攻略し、何度も一斉攻撃をしかけた。数日で終わると思われた攻撃はなんと3ヵ月間続き、膨大な犠牲者を出した。メッツ戦闘は、パットン将軍にとって屈辱となった。自身が作った要塞がドイツ軍のために使われたことをヴォーバン知ったなら気持ちはどうだろうかと思うが、戦争にはこのような名分的思考ではなく、実利的思考が必要だ。孫子も言ったように、戦争で最高の手段は他人のものを奪って使うことだ。

歴史学者