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進歩党を懸念するは理念論ではない

Posted March. 13, 2024 07:33,   

Updated March. 13, 2024 07:33

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2012年5月4日金曜日午後2時頃。国会議員会館で、統合進歩党の全国運営委員会会議が始まった。統合進歩党は当時、総選挙で民主統合党との野党連帯で13人の議員を当選させた。そのうち6人が比例代表だった。会議が開かれた理由は、比例代表選出の予備選不正疑惑のためだった。

当時の統合進歩党の構成はこうだ。まず、京畿(キョンギ)東部連合を中核とする民主労働党(NL・民族解放系)出身たち。彼らを党権派と呼んだ。国民参与党(親盧武鉉グループ)出身と進歩新党脱党派(PD・民衆民主系)が非党権派だった。李正姫(イ・ジョンヒ)、柳時敏(ユ・シミン)、沈相奵(シム・サンジョン)共同代表が各派を代表した。

非党権派を中心に比例代表不正予備選疑惑に対する真相調査報告書を出した。非党権派は、共同代表団の辞任だけでなく、予備選で順位を受けた比例代表候補14人全員が退くべきだという案件を提出した。

当時、現場取材を開始した時は、この会議がこんなに長くなるとは分からなかった。

33時間40分。会議は4日から5日土曜日まで夜を徹し、午後11時40分頃になってようやく終了した。

その時、記事に、「進歩の仮面の後ろに隠れていた統合進歩党の党権派の非民主的、非常識的な素顔を覗くのに十分な時間だった」と書いた。

彼らは不正選挙疑惑の真相を明らかにすることを拒否し、自分たちの側を庇うことに汲々とした。彼らが掲げたのは党員だった。李共同代表は、「国民を恐れるのと同様に党員を恐れなければならない」と述べた。案件採決を「超憲法的なクーデター」と非難した。真相調査報告書を「事実ではなく、不十分な疑惑だけを提起した天安(チョンアン)艦報告書のような真相操作報告書」と非難した。党権派は会議を妨害し、非党権派を監禁しようとした。

民労党の代表を務めた姜基甲(カン・ギガプ)議員でさえ、李代表に「野心と執着を捨てなければならない時は、本当に捨てなければならない」と言った。柳代表が、「党の統合前に感じた漠然とした恐怖の実体が私を苦しめている」と話したことが思い出される。

8日後。統合進歩党の中央委員会が京畿道高陽市一山(コヤンシ・イルサン)「KINTEX(キンテックス)」で開かれた。党権派は壇上に乱入し、非党権派の代表団を殴打した。陳重権(チン・ジュングォン)教授は当時、「まるでカルト集団の狂乱を見るような感じ」と話した。

同年、統合進歩党は分裂に追い込まれた。非党権派は、李石基(イ・ソクキ)、金在姸(キム・ジェヨン)議員(当時)の辞任を求めた。

12年後。「共に民主党」は進歩党に衛星政党の比例代表3議席を保証した。進歩党は、統合進歩党の党権派の後身。進歩党が比例代表候補3人を確定した。統合進歩党の候補として総選挙に出馬した人は、李石基氏の恩赦復権運動を主導した。進歩党のホームページにある綱領を見ると、「不平等な韓米関係を解体し、民族の自主権を確立する」とある。

3月第1週の韓国ギャラップの調査によると、進歩党の支持率は1%だ。自力で比例代表の議席を確保できる3%に届かない。

しかも、民主党と進歩党は選挙区でも一本化している。ソウルの西大門(ソデムン)乙の金映豪(キム・ヨンホ)、慶尚南道梁山(キョンサンナムド・ヤンサン)乙の金斗官(キム・ドゥグァン)議員がすでに進歩党候補と一本化した。12年前の金在姸元議員が、京畿道議政府(ウィジョンブ)から進歩党候補として出馬した。

「民主党が統合進歩党復活の宿主になった」という批判を、民主党は理念論で片付けている。12年前、統合進歩党の党権派の行いを思い出せば、理念論ではない。統合進歩党の党権派は民主主義を正面から否定した勢力だ。その素顔が4月の総選挙後に再び現れないという保証はない。