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世事に無頓着なまま「松風が吹けば腰紐を解き、山の月明かりが照らせば琴を弾く」自然回帰の人生、詩人は晩年になってようやく「静けさ」を見つけた。若い頃、官吏の生活にかなり悩まされ、どうすれば窮乏を脱し、栄達の道を歩むかをかなり悩んだことだろう。もはや現実の艱難を乗り越える策がないと判断した瞬間、詩人は故郷行きを選択する。「困窮と栄達の理」に悩んだ魂は、「帰ってきた昔の森」の松風と月明かりから温かく慰められる。友人のチャン氏も同じ悩みで迷っていたようで、詩人に「苦境と窮乏の理」を尋ねた。「漁師の歌が港の奥深くに消えているではないか」という詩人の答えが一見奇抜に見えるが、無理をせず順理に人生を任せろという忠告であることくらいは友人も気づいただろう。
「漁師の歌」なら、楚の大夫・屈原が朝廷から追放された後に出会った漁師との会話に登場するのが代表的な例。漁師が追放された理由を尋ねると、屈原は「世の中が混濁しても自分だけは清く、多くの人が酔っぱらっていても自分だけは覚めていたから」と説明する。この時、漁師が船を離れながら歌った歌、「滄浪の水が澄んでいれば、笠紐を洗えばいい。滄浪の水が濁っていれば足を洗えばいい」。澄んでいても濁っていても状況に応じて対処すればよく、難しく考えるなという訓戒だ。