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痛みの裏に隠れた人間の生き様をのぞく町医者の話

痛みの裏に隠れた人間の生き様をのぞく町医者の話

Posted July. 01, 2023 08:21,   

Updated July. 01, 2023 08:21

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済州道(チェジュド)のある小さな町内医院の診療室を守る医師が書いたエッセイだ。著者は切迫した人々に出会う。仕事中に畑で転んだと患者の夫は言うが、あごと唇、まぶたにあざができた女性は絶対転んで怪我をしたわけではない。数日後、女性は再び病院を訪れ、住居を「憩いの場」に移したとして家庭内暴力を受けた事情の一部始終を打ち明ける。

著者は、殴られながら暮らしている多くの女性について考える。七十歳が近い女性の一人は「夫が決まった時間にご飯をあげないと殴るので早く帰らなければならない」としてまともな治療を受けない。家庭内暴力は、犯罪として取り扱われるよりは、「我慢して生きなければ」という言葉の前に消えてしまう。「フェミニズム」が、時には現実の中に放置された問題の解決よりは、政治スローガンとしてだけで利用されている事実に著者は怒る。

著者は自分を訪ねてくる人々の痛みと不都合に共感し、それを一人で深く噛みしめながら書いていく。医師の役割は痛みの医学的原因を突き止めて治療することだが、「人間」として多くの苦痛は社会問題から始まったという考えが止まらない。

「風のにおいがついた人々」は稼ぐために海に出て船仕事をする人々のことを言う。作業中にロープに腹部を打たれて骨が折れたり内臓が破裂したり、指に太刀魚釣り針が刺されたり、魚のとげに刺されてむくんだまま、彼らは病院に来たりしている。荒波と狭い船の中で生き抜くために戦うことは、激しいストレスも伴う。そのような経験をすると、夜の海の漁船の美しい光がただ美しく見えなくなる。

この他にも新型コロナウイルス感染症が流行した時、町内の病院にはできることがあまりなくて絶望し、迅速抗原検査が収入に役立つということに不快感を感じる率直な話を聞くことができる。

人は生計を立てながら生きていく仕事人間である以前に、一個の人間として他人の苦痛に共感し、ひいてはそれを解決するために力を添える善意の存在であることを考えさせる。


金民 kimmin@donga.com