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悪魔の選択

Posted June. 13, 2023 08:27,   

Updated June. 13, 2023 08:27

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クラウゼヴィッツは、戦争は政治の延長だと言った。よく引用されるフレーズだが、もっともらしいが曖昧な発言なので、様々な意味で解釈される。この言葉の本意に最も近い解釈は「言葉で解決することを拳で解決する」あるいはその逆に「言葉で解決できないから拳で解決する」である。このような状態が戦争という意味だろう。

つまり、国家は戦争という最後の手段を使う前に、できるだけ政治的な解決策を模索するようにという勧告でもある。戦争の歴史を見ると、多くの国がそのような努力をすることはある。強大国であっても戦争をすれば被害が発生し、損失は国に負担として残る。敗北した国にも怒りと復讐の感情が残る。大人は血で血を洗うなというが、血痕は血でなければ洗えないのが人間の感情だ。

だから孫子も、戦争は慎重に決定しなければならず、もし始めたらできるだけ早く効率的に終わらせなければならないと言った。孫子が戦略と戦術を研究し、兵書を著した理由もこのような理由からだった。

戦争が長期化すると恨みは溜まり、恐怖は蓄積され、リーダーから指揮官、最前線の兵士までますます非合理的な選択をするようになり、非合理的な選択に鈍感になる。軍紀が厳格だった軍隊も敗北する状況になると、過酷な戦争犯罪に及ぶケースが多い。生きて家族のもとに帰らなければならないという絶対命題であり合理的な結論を実行する手段、特に正常な方法はほとんど残されていないからだ。その結果、すべての非合理的な手段が絶対命題、絶対合理的な命題の前で正当化されるのだ。

結局、戦争はどんなに合理的で正当な理由で始まったとしても、どんな手段、どんな行為も可能になる非合理の合理化、悪魔の選択、すべての人の悪魔化の状態に発展する。

ウクライナ戦争でカホウカダム破壊事件が世界を驚かせた。戦争はどんな選択も可能にするという事実を改めて示した事件だ。そして、このような選択は始まりかもしれない。人は天使になるより悪魔になる方がはるかに簡単だ。