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アウシュヴィッツで向き合った他人の苦痛

アウシュヴィッツで向き合った他人の苦痛

Posted May. 27, 2023 08:14,   

Updated May. 27, 2023 08:14

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「死の工場」。第2次世界大戦当時、ドイツ・ナチスがユダヤ人を虐殺したアウシュビッツ収容所を指す表現で、死体を生産するところだと言って付けられた名前だ。

出版社の編集者である著者は、2005年、アウシュヴィッツ収容所があったポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館を旅行するために訪れた。そこにはナチスの蛮行を赤裸々に再現するジオラマ(模型)も、マルチメディアを活用した劇的な映像もなかった。

静か極まりない展示室には、その代わりガス室で虐殺用に使われた毒ガス・チクロンBの空き缶や収容者の実際の髪の毛、スーツケース、衣類などが山積みになっていた。1945年1月、ロシア軍が収容所を解放した当時発見された髪の毛2万トン、スーツケース3800個、靴11万足の一部だ。当時、女性の遺体から切り取った髪の毛は、ドイツ織物会社に売られ、ベッドマットレスや布などを織るのに使われた。火葬場から出た灰は、湿地帯を埋めるセメントの代わりに使われた。ナチスはユダヤ人600万人を虐殺し、アウシュビッツ収容所だけで150万人が命を落とした。

衝撃を受けた著者は、この旅行の後、人生が変わったという。以後12年間、世界のジェノサイド(大量虐殺)の現場を訪れる「ダークツアー」に通い、関連資料を勉強しながら6年間執筆に励んだ。ボスニア・ヘルツェゴビナ(ボスニア内戦)、カンボジア(キリングフィールド)、チリ(ピノチェトの虐殺)、アルメニア(アルメニアン大虐殺)、済州(チェジュ、4・3事件)で見て感じたことを淡々と盛り込んだ。

依然として、世界各地で戦争などで数多くの命が失われている。著者は、痛い記憶が込められたところを探すのは、このような不幸が「私たち」の問題になりうるという警戒心を持つためだと話す。

「ジェノサイドの現場を見て回る体験は、私たちに他人の不幸と災いはそれほど遠くなく、彼らと私たちの間に置かれたのは、偶然と運だけだという冷たい真実を悟らせる。私は、ダークツアーは韓国社会に不足している「他人の苦痛」に対する共感能力を育てる一つの良い方法だと信じている


鄭盛澤 neone@donga.com