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遅まきながら…殉職消防士5人を顕忠院に、大田顕忠院で合同埋葬式

遅まきながら…殉職消防士5人を顕忠院に、大田顕忠院で合同埋葬式

Posted May. 25, 2023 08:36,   

Updated May. 25, 2023 08:36

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「ようやく父の名前と犠牲を覚えてくださり、ありがとうございます」

故パク・ハクチョル消防士(死亡当時は26歳)の娘のパク・ソジョンさんは、1983年、火災現場への出動中に殉職した父親の遺体が、40年ぶりの25日、国立大田(テジョン)顕忠院に埋葬される心境について、このように語った。パク消防士は、蔚山市北区(ウルサンシ・ブック)で住宅火災の通報を受けて出動する途中、車両事故で命を落とした。ソジョンさんは、「遅れたものの、父親を同僚の消防士たちと共に顕忠院に埋葬することができて安心できる。父も安らかに眠れるだろう」と話した。

政府は、2005年に国立墓地法を制定し、消防公務員の場合、1994年9月1日以降殉職した消防公務員のみ国立墓地に埋葬できるようにした。そのため、パク消防士のように、その前に殉職した消防公務員たちは一般墓地に埋葬されなければならなかった。

消防英雄に対する礼遇が足りないという指摘が提起されると、国会は今年3月に法を改正し、死亡時点とは関係なく殉職消防公務員全員の国立墓地への埋葬を許可した。これを受け、消防庁は25日午後、国立大田顕忠院で殉職消防公務員5人に対する合同埋葬式を行う。

同日合同埋葬される消防英雄は、故キム・ヨンマン消防員、故ソ・ガプサン消防校、故パク・ハクチョル消防士、故チョン・サンテ消防士、故チェ・ナクギュン消防長だ。

大韓民国初の殉職消防士であるキム消防員(死亡当時は20歳)は、釜山(プサン)中部消防署に勤めていた1945年10月、釜山鎮区(プサンジング)にあった陸軍倉庫の火災を消し止める途中、爆発事故で殉職した。当時、非番だったキム消防員は家の窓から黒い煙が上がるのを目撃し、非常招集前に先に出動して火を消し止める途中、軍用爆発物が爆発して散華した。

同僚たちが遺体を収拾し、米軍政が用意した釜山北区の埋葬地に埋葬したが、1990年代に墓の周辺が開発され、遺骨を見つけるのが難しくなったという。米国に居住していた遺族たちが帰国して聞いて回ったが、結局遺体を見つけることができなかった。消防庁の関係者は、「遺体が無く、25日の合同埋葬式でも位牌だけを祀ることになった」と説明した。

1981年、全羅北道群山市藏米洞(チョルラブクド・クンサンシ・チャンミドン)の風俗店の火災現場で殉職したソ消防校は、全羅北道の公園墓地に埋葬されていたが、1991年から27年間墓地管理費が未納されたまま放置されていたという。殉職消防公務員追悼記念会が2018年にこの事実を認知し、未納金を代納した。

ナム・ファヨン消防庁長は、「遅ればせながら、国と国民のために犠牲になった先輩たちの名誉を高めることができて幸いだ」とし、「消防公務員と遺族が自負と誇りを持てるよう、今後も殉職消防士への礼遇および支援に最善を尽くす」と話した。


イ・ソジョン記者 sojee@donga.com