Go to contents

朴婉緒の娘ではなく随筆家として「日常的な美しさを込めました」

朴婉緒の娘ではなく随筆家として「日常的な美しさを込めました」

Posted May. 20, 2023 08:21,   

Updated May. 20, 2023 08:21

한국어

2011年に死去した韓国文学の巨匠朴婉緒(パク・ワンソ、1931〜2011)は生前、京畿道九里市(キョンギド・クリシ)のアーチウルに家を建て、庭に赤い牡丹2本を植えた。氏の娘である随筆家のホ・ウォンスクさんは、母親が亡くなった後、そのそばに白い牡丹を植えた。母娘が植えた牡丹3本の下、昨年からまた別の子牡丹がピンク色を帯びて咲いた。老年の母親を世話するなど、母親の「執事」として生きてきた著者が自分だけの文を書き、また別の「私」を花咲かせたように…。

著者は、誰かの娘ではなく、「随筆家ホ・ウォンスク」で、母親の痕跡が残っているアーチウルで自分の日常を記録したエッセイだ。

著者は、いつからか自分の日常になった作文について、「私が眺めるものからインスピレーションをもらい、美しかったので、その都度忘れないために書くことになった」と告白する。

著者には、夜明けに浮かんだ星も文を書くだけの十分な理由になる。氏は、「周辺の街灯の光のせいで星明かりが鮮明ではなくても、オリオン座を見ると嬉しい」とし、「並んでいる星3つ。空気が澄んでいる証拠だ」と書いた。一日中庭に育った木の枝を切った後は、「心身を傾けて春を迎えること」に関する記録を残した。

母親との思い出も盛り込んだ。著者は高校2年生の時、母親の初小説「裸木」が初めて出版された時を思い出し、「文章一つ一つが抉るように近づいてくるので、心がどれほど不便だったか。ご飯を食べることができず、初めての本を読んでいた娘の部屋の前でうろついていた母親の姿が夢のようだ」と話した。母親の原稿を受け取って近くの新聞社や雑誌社に渡すことは、幼い娘に「胸がいっぱいで聖なることだった」として、母親に対する尊敬心も表わした。母親が出入りしていた奥の間と手垢がついたお膳、きしむような門の音まで、著者が思い出した母親との思い出は昨日のことのように生々しい。

ある日は花と木に関して、またある日はテレビ番組と映画、詩に関して思いつくままに書いたこの本は、著者の言葉どおり「無理やり絞らず、目的もなく書いた文」で満たされている。著者は序文で、「文章を書きながら自分自身を知ることになり、自分だけが持つ言語のリズムと感覚を発見した。そして自分自身を愛するようになった」と話した。


イ・ソヨン記者 always99@donga.com