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人類の試験台

Posted May. 09, 2023 08:35,   

Updated May. 09, 2023 08:35

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自己陶酔は、自分に対するお世辞である。ところで、お世辞は悪いものだろうか?お世辞は、自分を含めて人を満足させ、喜ばせる。これが幸せの一部であり、幸せの要である。お世辞は人間の生活全体を甘くする調味料だ。

嘘にだまされるのは不幸だと言う人もいるが、実は嘘にだまされないのが最大の不幸だ。幸福は、真実ではなく虚像にかかっている。どうせ人間の世界は変化に富んでいて、まともに知ることもできず、予測も不可能だ。だから虚像でも、自己満足を与える結論に酔えばいい。だから人間とは、そもそも偽りに惹かれるように作られている存在である。

筆者の主張ではない。15世紀、最初の人文主義者と呼ばれるエラスムスの「痴愚神礼讃」に出てくる話だ。この後もっとひどい話がどんどん出てくるが、恐ろしくて読めない。なぜもっと早くこのような悟りを得られなかったのか?学生時代に気付いていたら、早くからフェイクニュースの発信者の側に立って、今頃尊敬される富豪になっていたかもしれないが…。

しかし、エラスムス自身も、痴愚神の信者として生きていないことを見れば、言葉の上ではそうであっても、真実は勝利するという信念あるいは希望を持っていたようだ。エラスムス以降も、人文主義者と啓蒙主義の知識人たちは、教育とマスメディアが発達すれば真実が偽りに勝ち、詐欺師と扇動家は世の中に足を踏み入れる所が残らないと信じていた。しかし、最近の世の中を見れば、痴愚神の言葉が正しいようだ。ある人は人工知能(AI)に期待をかけるが、AIもお世辞で満たされたデータに占領されないという保障がない。

この恐ろしい偽ニュースが猛威を振るい、尊重まで受ける領域がある。戦争だ。政治も戦争だ。数日前は、ロシアのクレムリン宮殿の上空で炎が上がった。ロシアは報復を叫び、その背後に米国があるという。いくら見ても、あまりにも粗末で不十分な攻撃だったが、誰も明確な証拠がなく、証拠があるとしても人々の結論は決まっているので、信頼を破ることはできないだろう。なぜこの戦争は、ますます人類の良心と能力を試すような戦争になっていくのか。