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信じられない郞君

Posted May. 05, 2023 08:40,   

Updated May. 05, 2023 08:40

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夫から冷遇された女性の心を代弁した歌。詩人の自然な詩的衝動から出たものとは考えられず、巷に漂う女性たちの不満を聞いたか、民間の口伝えの歌をもう少し洗練された表現に昇華させようとしたのだろう。それとも、慣習によって君主から疎外された臣下の境遇を男女関係に例えたのかもしれない。実際、詩人は、君臣関係を取り上げながら、「人として生まれて、婦人[臣下]のような身になるなかれ。百年の苦楽は、他人[君主]による」(「太行路」)と例えたこともある。この詩で、規則的な潮の満ち引きを男女の愛情心理に例えたのは、水郷特有の発想であることが分かる。潮のサイクルに対する確かな信念があるからこそ、人々は安定した平穏な生活を送ることができる。しかし、男の心は別物だ。必ず来るという約束を平気で覆すので、どうにも信用できない。女は違う。限りなく深いと信じている海さえも、夫を思い描く女の心に比べれば浅い。この事実に今になって気づいたからこそ、夫に対する失望感が大きくなる。

「浪淘沙」を解釈すると、「浪(なみ)が沙(すな)を淘(あら)う」になるが、曲名にすぎないので歌の内容とは関係がない。詩で郞君の心を潮と対比していることから、「浪」とわずかながら関連性はある。詞というジャンルが生成され始めたばかりの唐の中期に作られた歌なので、形式は従来の7言詩と大差ない。曲の形態がまだ未熟だった証拠だ。