Go to contents

国民を捨てない国

Posted May. 02, 2023 08:34,   

Updated May. 02, 2023 08:34

한국어

モンゴルが高麗を侵攻した時、最も価値のある戦利品は人だった。若くて健康な男女を捕まえて奴隷として売った。講和が成立して戦争が終わっても、捕らえられた人々を取り戻すことは容易ではなかった。すでに売られてしまった人を取り戻すには、主人に金を払わなければならなかった。

高麗末、倭寇が拉致した人々がかなりいた。鄭夢周(チョン・モンジュ)は、人々が捕らえられたのは国と支配者の責任だとして官僚を対象に募金運動をした。この運動は成功し、かなりの数の高麗人を帰国させることができた。しかし、これは実に珍しいケースだ。

丙子の乱の時、清軍に捕らえられた人々は、政府が見て見ぬふりをすると、瀋陽にいた昭顕世子(ソヒョンセジャ)の所に来て抗議した。昭顕世子は貿易で集めた資金で彼らを解放し、農場を作り収益事業をした。こうして集めた資金で人々を救い続けようという構想だった。世子の努力は報われるどころか、私兵を育て、王位を狙っているのではないかと仁祖(インジョ)の疑いを買った。

辛未洋擾の時、米軍に捕虜となった朝鮮兵士が何人かいた。米軍の軍医官から切断手術まで受けた負傷兵もいた。米軍側が朝鮮政府に捕虜の解放を協議することを提案した。政府は拒否した。元来、朝鮮の法では、捕虜になった者は降伏したものとみなす。降伏した者は死刑だ。中国、日本、古代に戦争の法則はすべてこうだったが、この時は19世紀末だ。大学生の頃、この話を聞いて激怒した記憶がある。後で分かったことだが、米軍は朝鮮人捕虜を解放して去った。朝鮮政府も彼らを殺さなかったが、それでも怒りは消えない。

韓国の戦争史で、捕虜、連れ去られた民衆に対する政府の態度を見ると、あきれることが一度や二度ではない。しかし、無条件に支配層の常識のなさを責めるわけではない。捕虜になった自分たちの親族もどうしようもなかった。国が貧しく、能力がなかったからだ。今回のスーダン内戦で韓国国民が無事帰国した。国家の行動は意志だけではうまくいかない。責任感と同じくらい能力が重要だ。その点で隔世の感がある。国際社会は依然としてジャングルであり、力のない正義は通用しない。