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ヘルマン・ヘッセの「呂氏春秋」。

Posted April. 26, 2023 08:38,   

Updated April. 26, 2023 08:38

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「治世の音楽は安らかで楽しい。その政治が安定しているからである。乱世の音楽は怨みがこもり怒気を感じさせる。その政治が乖(そむ)いているからである。亡国の音楽は哀しく憂愁を感じさせる。民が苦しんでいるからである」。呂不韋の「呂氏春秋」に出てくる言葉だ。ドイツ系スイス人作家のヘルマン・ヘッセはこの言葉を引用し、2000年前の中国人は西洋の音楽理論家よりも音楽の本質について多く知っていたと言う。

呂不韋によると、音楽は本質的に静かで気分が良くなるものでなければならない。呂不韋は、楚が滅亡した原因を本質から離れた音楽に求めた。彼らの音楽は憂鬱で激しく、そうなれば国は危うくなり、最終的には滅亡した。ヘッセは、最後の小説『ガラス玉遊戯』(1943年)と友人のオットー・バスラ―に送った手紙(1934年)で、具体的に「呂氏春秋」を引用し、大衆を惑わし、扇動する音楽を警戒しなければならないと言った。ヘッセが警戒したのは、音楽が人々を陶酔させて一つの塊にすることだった。個人から個性を消し去り、数百、数千、数百万人を一つの集団衝動にしばり、熱狂させる英雄主義を警戒したのだ。ヘッセは、「歓声、悲鳴、感動、涙に満ちた交歓」を引き起こす英雄主義が、最終的には「戦争、狂気、流血」につながる可能性があると考えた。ヘッセが念頭に置いたのはナチスの狂気であり、彼の考えは結果的に間違っていなかった。

ヘッセは、バッハとモーツァルトが音楽の本質に近い作曲家だと考えていた。ベートーベンでもワーグナーでもなかった。ヘッセの言葉や考えは音楽をあまりにも道徳的な尺度で測る偏狭な清教徒主義に近かった。しかし、音楽が本質的に静かで調和的で明朗でなければ健全な社会ではないという考えは、それほど間違っていないかもしれない。ヘッセの言葉通りなら、いや、彼が引用した呂不韋の診断通りなら、悲しみや怒りなど激しい感情に満ちた現代音楽は、危うい時代の兆候かもしれない。