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イースター蜂起

Posted April. 11, 2023 08:51,   

Updated April. 11, 2023 08:51

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欧州のキリスト教文明圏でイースターは最も重要な節目だ。昨年、教皇はロシア・ウクライナの戦争当事者にイースター休戦を提案したが、拒否された。宗教も戦争には勝てないようだ。

1916年4月24日、1000人余りのアイルランド武装独立闘争軍が蜂起し、ダブリン市内の主要拠点を占拠する。これをイースター蜂起と呼ぶ。アイルランドは長い間英国の支配下にあったが、粘り強く抵抗した。12年に英国議会はアイルランド自治法を批准した。しかし、すぐに勃発した第1次世界大戦で自治の実施が延期された。

これも不満を抱かせたが、自治そのものにも不満を募らせた勢力がかなりいた。彼らは自治ではなく、即時独立を望んでいた。このような状況で戦争が激化すると、英国は不足する兵力を補うためにアイルランド人を徴兵しようとした。これもアイルランド人の不満に火をつけた。あちこちで結成された武装団体や独立運動団体は、このような不満を利用して武装蜂起を計画する。ドイツともつながり、武器支援の約束を得る。

蜂起は当初は成功したかのように見えたが、意外にも市民の反応は熱くなかった。ドイツが送った武器は途中で英国海軍に摘発され、伝わらなかった。英国は直ちに軍隊を動員して反乱軍の鎮圧を始めた。4月30日、指導部は拠点だった中央郵便局で、無実の市民の犠牲を防ぐという理由で英国軍に降伏する。

蜂起は惨憺たる失敗に終わったが、英国はこれまでと同じようにアイルランドに過酷だった。罪のない市民を捕らえて監禁し、反乱の首謀者を急いで銃殺してしまった。イースター蜂起は、英国の過剰な鎮圧によって、降伏したアイルランド人の闘争心を復活させてしまった。80年代から90年代近くまでテロ集団の代名詞だったIRAがこの事件をきっかけに誕生する。IRAがすべて過激派だったわけではないが、その後も北アイルランドの独立問題、英国軍の過剰鎮圧が繰り返され、一部が過激化した。

血は血を生み、悪はより大きな悪を生み出す。私たちは正義の世界を夢見ているが、正義は血塗られたマットの上でしか咲かないという言葉もある。本当に復活すべきは純白の正義なのだが。