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時代の奴隷

Posted March. 15, 2023 08:15,   

Updated March. 15, 2023 08:15

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時代は時に人を奴隷にする。学者も例外ではない。朝鮮時代の性理学者である順菴(スンアム)安鼎福(アン・ジョンブク)もそうだった。安鼎福は当代の価値観に忠実で、夫が死んだ時、妻が生きていてもいい2つの場合があると言った。頼るところがない義父母を扶養しなければならない場合と、子どもが幼すぎて夫の法事を任せることができない場合だった。安鼎福は、これに該当しないにもかかわらず一人で暮らす女性のことを「軽重がわからない寡婦」と言った。妻は夫の後を追わなければならないというのが当時の儒教的価値観だった。

夫が病気で死に、幼い子どもたちを残して命を絶った妻を安鼎福が称賛したのは、そのような価値観に縛られたからだった。夫には兄弟がいたので、義父母を扶養することは心配する必要がなかったが、9歳の息子と14歳の娘がいた。そのため死ななくてもよかったが、自ら命を絶った。子どもたちが泣いて止めても無駄だった。幼い子どもたちに残した遺書は次のようなものだった。「私がお前たちに未練を持っているわけにはいかない。お父さんの後を追う。お前たちが大きくなったら、後日、地下に来て父と母に会いなさい」。安鼎福は、その寡婦は男性よりもましだと称賛し、家の人々に見習うようにと長文の文を残した。

今振り返ると、誰もが時代の奴隷だった。だから命より理念を重要に考えた。当代の碩学だった安鼎福は、子どもたちを残して死んだ母親を称賛することで、時代の暴力に共謀した。朱子学的価値を内面化して死を選んだ女性は、称賛ではなく憐憫の対象であるべきだった。そして、より大きな憐憫の対象は子どもたちであるべきだった。安鼎福は、母親の自死で傷つき、母親なく生きなければならない子どもたちのことを考えるべきだった。しかし、何も言及しなかった。それは温かい憐憫の心がないからではなく、時代の要請に服従した結果だった。時代の限界は彼の限界、皆の限界だった。200年以上経った今もそのようなことはないだろうか。