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音楽礼賛

Posted February. 22, 2023 08:52,   

Updated February. 22, 2023 08:52

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音楽は抽象的な音だけで私たちの心を動かす。他の芸術ジャンルが追いつけない境地だ。それゆえウォルター・ペイターの言葉のように、「すべて芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」。東洋のイソップ寓話と呼ばれる「列子」には、そのような音楽の話がある。

秦青と薛譚は師弟関係だった。弟子はある程度歌を歌えるようになると、習うべきことは習ったと思い、師に別れの挨拶をした。師は引き止めず、郊外の道の辻まで弟子を送り、そこで歌を歌った。その悲しい歌は、林の木々を震わせ、空を流れる雲を止めた。弟子はその姿を見て自らを恥じ、自分の未熟さを悟って、もっと学びたいと師に懇願した。

師は弟子に韓娥という優れた歌い手の話を聞かせた。ある日、韓娥がある家で食事をしながら歌を歌ったところ、韓娥が去って三日が経っても余韻が残った。韓娥がそこで歌を歌っているようだった。その家の梁にも音が響いているようだった。それだけではない。韓娥がある旅館に立ち寄ったときのことだ。人々が韓娥に侮辱的な言葉を言うと、韓娥は哀愁漂う歌を歌い、そこを去った。

ところが、韓娥の歌を聞いた村人たちは悲しみに浸り、三日間食事もせずに泣いた。人々は韓娥を追いかけて見つけ出し、謝罪して連れてきた。韓娥が歌を歌うと、人々は悲しみを忘れて手を叩いて喜び、踊った。声で人々を悲しませ、喜ばせたのだ。

林の木々を震わせ、空を流れる雲を止め、人々の心だけでなく梁にも音を染み込ませる力。少し誇張かもしれないが、音楽が最高潮に達するとそうなるという例えだ。音だけで喜びと悲しみを抽象的に再現し、慰めと癒しの機能まで果たす音楽の奇跡、それはすべての芸術が到達したいと思う境地だ。私たちが時に音楽に頼るのもその驚くべき力のためだ。