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梵魚寺大雄殿に隠れている仏様の教えの奥義

梵魚寺大雄殿に隠れている仏様の教えの奥義

Posted February. 20, 2023 08:59,   

Updated February. 20, 2023 08:59

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信徒かどうかと関係なくお寺を訪れる時は誰でも一度は足を運ぶ大雄殿。しかし、その中に込められた仏国土の精神と石段一つひとつに込められた仏様の教えの意味に気づく人は多くない。最近、釜山(釜山)の梵魚寺(ボムオサ)聖宝博物館が発行した「仏国土を彫刻する、梵魚寺大雄殿」(写真)は誰にでも開かれている空間だが、注意深く見ていなかった大雄殿の隅々のまつわる物語を盛り込んだ。

1602年に創建された梵魚寺大雄殿(宝物)は釜山で最も古い木造建築の一つだ。仏様の頭上にある屋根の下にぶら下がっている龍や鳳凰、鶴、雲、奏楽飛天像などは想像力を発揮して天上界を表現したものだ。大雄殿はその名の通り「大きな英雄」、すなわち釈迦牟尼仏を祀った殿閣だ。梵魚寺大雄殿の切妻屋根は向かい合っている普済(ポジェ)楼より素朴だ。それでも、むしろ威風堂々としているのだが、これは華麗な拱包(コンポ=軒の端の重さを支えるため柱の上部に取り付ける木組)、斜面を埋め尽くした内部と外の壁画、柱と天井などが殿閣の存在感を表わすように施された地形的位置と調和しているためだ。

切妻屋根は屋根形式の中で最も簡単なもので、宮殿でも正殿のような主要建物には入母屋屋根を、付属建物には切妻屋根を載せるのが慣例だった。大雄殿の地位を考えれば、入母屋造りにするべきのどころだが、これにも時代的な背景がある。梵魚寺大雄殿が創建された1602年は、壬辰倭乱(文禄の役 =1592~1598)が終わった直後だった。特に東莱(トンネ)地域は被害が大きく、当時建てた寺院の大部分は労力とお金が沢山かかる入母屋造りの代わりに切妻造りの屋根にしたという。この他にも大雄殿の須彌壇(スミダン)と仏殿荘厳具を通じて梵魚寺大雄殿が礼拝対象を奉安する伝統性を強調しながらも、供養台としての時代性をどのように反映してきたのかも本を通じて知ることができる。

梵魚寺聖宝博物館(館長=ファンウン僧侶)は「市民がいつも訪れていた梵魚寺大雄殿で知らなかった意味が分かれば、また別の仏様の世界が見えるだろう」とし「これを通じて仏教文化の価値と意味を再確認する契機になればと思う」と明らかにした。


李鎭求 sys1201@donga.com