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1890年代の宣教師、韓服を着て還暦祝い宴会開きながら朝鮮に適応

1890年代の宣教師、韓服を着て還暦祝い宴会開きながら朝鮮に適応

Posted February. 14, 2023 08:49,   

Updated February. 14, 2023 08:49

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日本による植民地時代の宣教師や僧侶、寺院などの姿と生活ぶりが盛り込まれたアルバムが相次いで出版された。

ソウル歴史博物館が先月発刊した「100年前の宣教師のソウル暮らし」は、米国プリンストン神学校に所蔵されている「モフェットの韓国コレクション」4000点余りのうち、160点余りを選んだ。モフェットの韓国コレクションは、旧韓末と日本による植民地時代にソウルで宣教活動を行ったサミュエルAモフェット宣教師と彼の家族、同僚宣教師が収集した資料だ。モフェットの韓国コレクションは、教会史研究者たちによって一部紹介されたものはあるが、1890年代のソウルの風景と宣教師の生活振りが多様に盛り込まれて公開されたのは今回が初めてだ。特に、「ソウル生活」の編では、宣教師たちが見知らぬ異郷で30~40年間を生きながら、どのように適応したのかを生々しく見ることができる。宣教師たちは、韓国文化に染み込むために、60歳の誕生日パーティーを韓国式の還暦祝いとして開き、皆韓服を着て参加した。1911年、朝鮮総督府が105人の独立運動家を逮捕した「105人事件」の公判写真など、韓国近代史で意味のある写真も盛り込んでいる。

最近、東国(トングク)大学仏教学術院が出版した「写真で読んだ近現代の韓国仏教」では、19世紀末の寺院の姿とともに、倭色仏教を清算し、真の修行空間と修行者としての姿を探していく仏教界の変化を見ることができる。日本による植民地時代の金鋼山(クムガンサン)の神渓寺(シンゲサ)、現在とは異なりソウル弘済川(ホンジェチョン)沿いの砂利場に接している沃川岩(オクチョンアム)の磨崖菩薩坐像(ソウル西大門区弘智門路)も収められている。神渓寺は韓国戦争の時、大雄宝殿前の3層石塔だけを残して全焼したが、2000年の6・15共同宣言を機に南北共同で復元を推進し、2004年に14個の殿閣が復元された。1950年代の仏教浄化運動を通じて、今日の韓国仏教の土台を築いた大僧たちをはじめ、受戒直後の僧侶たち、安居と勇猛精進を終えた僧侶たちの団体写真から、後日、韓国仏教界を率いた大僧たちを探してみるのも一つの楽しみ方だ。


李鎭求 sys1201@donga.com