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敗戦の記憶

Posted February. 07, 2023 08:42,   

Updated February. 07, 2023 08:42

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最近、エジプト旅行に行ってきた。歴史学者が遺跡探訪をするなら、ギリシャ、ローマの前に最初に訪れるべき場所がエジプトだ。このような場所にようやく行けたことに恥ずかしさを感じる。

ピラミッド、アブシンベル神殿は言うまでもなく、個人的にとても気になったのが古代エジプトの古王国期の首都だったメンフィスだった。大英博物館に行くと、アッシリアの歴代皇帝の戦争記録を集めたレリーフがある。この中で最も完璧で素晴らしいコレクションがアッシュルバニパル2世のレリーフだ。この中にアッシリア軍がメンフィス城を攻略するシーンがある。

二重の城壁、びっしりと並んだ塔、この強力な城をアッシリア軍が攻略する。当時、この城を守っていたのはエジプト人ではなく、現在の南スーダンであるヌビアの人々だった。長い間エジプトの属国だったヌビアが、逆にエジプトを征服してファラオとして君臨しているところに、アッシリアが攻めてきたのだ。ヌビアはアッシリアに敗れることでエジプトの支配を終わらせる。メンフィスの城も陥落し、男たちは殺され、女と子どもは強制移住させられた。

メンフィスに行けば、この城の痕跡を見つけることができるだろうか。見物できる状態でなくとも、少なくともある程度の痕跡があることを期待していたのだが、その期待は衝撃的な失望に終わった。メンフィスにはメンフィスで発掘された遺物を集めた小さな野外博物館があり、巨大なラムセス像とスフィンクスという印象的な石像が残っていたが、全体的に遺物の量は驚くほど少なかった。

城跡は跡形もなく、丘には羊やヤギが走りまわっていた。エジプトに点在する多数の遺跡をすべて発掘することは困難で、発掘後の管理も並大抵のことではない。メンフィスはまだ大々的な発掘調査が行われていないか、行われたとしても管理の問題で覆い隠されているようだ。

しかし、もしメンフィスの城が敗戦の場所でなく栄光の場所だったなら、優先的に発掘しなかっただろうか。苦い記憶は誰でも嫌なものだ。ほとんどの場合、国が覆い隠したり、歪曲したりする。しかし、悲劇を繰り返さない唯一の方法は、敗北を直視し、冷静に分析することだ。世の中を見てみると、これが最も難しいことのようだ。